鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

イエス様の名のために(入園受付日に)

今日は幼稚園の次年度入園児の受付日です。午前7時から9時まで受付、9時から面接を行ないます。少し前までは1日に受付、面接は翌日の2日にしていました。しかし、受付けた日に入園を決定したほうがよいことになり、1日にも面接を行なうことになったのでした。1日は午前7時から受付けですが、その時間にはまだ誰も来ませんでした。昔は暗いうちから門に並んでいました。11月にもなると結構冷え込みます。それで、教室を開放し、暖房を入れて7時まで待っていただいたこともありました。お父さんとお母さんが交代で並んでいた場合もありました。暗いうちにお父さんが並び、お父さんは会社に行くのでお母さんに代わります。お母さんはと言えば、家に子どもを置いているので気がかりです。前後の人にお願いして順番を確保し、7時になったら受付に来ることで帰られたのでした。子ども達が多い時代でもあったからです。だんだんと子どもが減少してくると共に、並んで受付する人がいなくなりました。説明会のときに、もうそういう時代ではないので、ゆっくり受付けに来ても入れますよ、と園長が言っていることも確かです。
面接という言葉が重く受け止められているようです。子どもが入園するのですから、子どもの面接試験と理解されます。名前を言う練習や、返事をするときは声を出して元気に「はーい」と言うように教えます。子どもの面接ではないのです。確かに子どもと一緒に面接に来ます。子ども達は遊戯室で遊びます。教師が一緒に遊びながら、子ども達を観察するのです。共に過ごすことで、この子どもとどのように園生活をするか、参考にするのです。面接は保護者の皆さんとするのです。当園をどのように理解されているか、いろいろとお話しを聞かせていただくのです。また、お子さんの様子等も尋ねます。今の願書は簡単なもので、本人の名前と住所、電話番号くらいで、後は保護者の名前くらいです。子どもの様子等は何一つ書く欄がありません。これは入園にあたり、必要事項以外は調べてはいけないことになっているのです。親の職業、宗教、家族構成、家の地図、子どもの既往症等は入園を決める事項にならないことです。昔は当園でもこれらの項目を願書に記入していました。しかし、今は名前のみです。本人については何も分からないということです。そのような意味でも保護者との面接でいろいろお子さんについてお聞かせいただいているのです。
10月15日に願書を配布しますが、取りに来られた一人のお母さんが、お子さんが障がい的傾向があるので、入園できるのか心配され、事務員に繰り返し尋ねていました。受け入れてもらえるかということです。そして11月1日の朝7時になって受付にこられましたが、心配のお気持ちは変わらず、繰り返し受付けてもらえるかと聞くのです。そして、その方の面接となりました。面接室に入ってきたとき、動揺していて、しばし言葉が出ません。「少し深呼吸されては」と主任が言い、ようやくお話しが出来るようになりました。とにかく、障がい的傾向の子どもであり、受け入れてもらえるか、心配そうに尋ねます。面接をしているからには、もう受け入れているのですよ、と言いますと、涙を流しつつ喜ばれるのでした。障がい児、その傾向の子ども達が当園には多くいます。他の幼稚園では受け入れてくれないのです。他の幼稚園でも受け入れていますが、一クラスに1人位であり、それ以上は受け入れないようです。当園は2、3名いるのです。そのため、複数の教師が担当するのです。他の園では受け入れられないということで、当園を希望しますが、当園としても障がい児が多くなっても、バランスが取れなくなってしまいます。しかし、園長が保護者とお話しすると、必ず入れてしまうので、なるべく園長は会わないようにしているのですが。さあ、どうしたら良いのでしょう。園児が少なくなり、障害児が多くなる、今後の幼稚園の運営がむずかしくなると思います。しかし、どんなお友達もいらっしゃい、ということがドレーパー記念幼稚園の創立精神です。神さまのお導きに委ねましょう。
聖書の言葉
「わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(マタイによる福音書18章5節)