鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

主に向かって喜び歌おう(愛唱讃美歌考)

今日はさがみ野ホームの礼拝の日です。さがみ野ホームは利用者と職員が合同で礼拝をささげています。少し前までは利用者の礼拝に続いて職員の礼拝がありました。しかし、利用者の高齢化に伴い、介助から離れられない状況があり、合同で行なうようになりました。礼拝ではいつも前に座る利用者がおり、彼女はいくつかの讃美歌を知っていました。礼拝の讃美歌も大きな声で歌います。そして、礼拝が終わると、「私、下手だったでしょう」と言うので、「そんなことはないですよ。よく聞こえて、とても上手だった」と褒めます。その利用者はさがみ野ホームに入所する前もキリスト教主義の施設におられ、やはり礼拝で讃美歌をいつも歌っていたようです。その讃美歌を良く知っている利用者が、私が帰るため車に乗ろうとしていると、雨がぽつぽつ降ってきたのですが、傘をさして車にまでやってきました。「この歌、知ってる?」と言いつつ、歌いだしました。「行けどもゆけども/ただ砂原/道なきところを/ひとり辿る…」。「知ってるよ。讃美歌の244番でしょ」と言い、彼女はまだ歌っていましたが、この後急ぎの用事がありましたので車を発進させたのでした。その歌が久しぶりに心によみがえり、車を運転しながらも歌っていました。もっとも歌詞を全部覚えていないので、適当に口ずさみつつ歌ったのでした。
その讃美歌は若い頃の愛唱讃美歌でした。高校生の集いや青年会でよく歌われていたのです。讃美歌21では437番として取り入れられていますが、讃美歌21が発行されてからこの方、実は礼拝でも集会でも一度も歌ったことがないことに思い当たるのでした。何か青春の思い出の歌となっているのです。青年の頃、まだ将来の方向が定まらない状況の中で、この讃美歌は勇気を与えてくれたと思います。このように教会の皆さんはいくつかの愛唱讃美歌があり、おのずと口ずさみつつ生活されています。そして、葬儀には歌っていただきたいとも言われます。大塚平安教会はそのためにも、葬儀のために愛唱聖句、愛唱讃美歌を登録されるように用紙を作りました。提出したのは数名であり、ほとんどの皆さんは提出しませんでした。葬儀の時には歌ってくださいと言いつつも、実際に葬儀の準備のように提出することには気後れがあるのでしょう。私の連れ合いは、その意味でも、どなたかが愛唱讃美歌であると言われると、その讃美歌に愛唱されている方のお名前を記しておくのでした。
葬儀のときに、その方の愛唱讃美歌を歌うとき、その讃美歌により信仰の証しが示されるようです。若干21歳で召天された笠倉正道さんは讃美歌320番が愛唱讃美歌となりました。「主よ、みもとに近づかん/のぼるみちは十字架に/ありともなど悲しむべき/主よ、みもとに近づかん」と歌われます。癌の苦しみの中で主を見つめ、闘病の中で示された讃美歌なのでした。葬儀では繰り返し歌いました。棺を送るときにも、この讃美歌を歌いつつ見送ったのでした。そして、父上も信仰に導かれ、昨年まで証しをしつつ歩まれましたが、昨年2月に召天されました。父上もご子息の愛唱讃美歌を歌いつつ人生を生きたのです。その証しとして、その讃美歌の5節を書き残しつつ召天されたのでした。「うつし世をばはなれて、天がける日きたらば、いよよ近くみもとにゆき、主のみかおをあおぎみん。」
讃美歌は祈り集であります。従って、愛唱讃美歌は自らの祈りになっているのです。楽しいときはもちろんですが、苦しいとき、悲しい時に、自然と愛唱讃美歌を口ずさむと言うことは、歌いつつ神様を仰ぎ見ているのです。
それにしても讃美歌21の385番「花彩る春を」は多くの皆さんに感銘を与えています。しかし、この讃美歌を愛称讃美歌にする人は少ないようです。葬儀の讃美歌でもあるからです。教会員の葬儀には歌うことが多いと言えるでしょう。「花彩る春を この友は生きた、いのち満たす愛を うたいつつ。 悩みつまずくとき、この友の歌が 私をつれもどす 主の道へ。」と歌うとき、まさに召天された方のお証しが示されるのでした。
聖書の言葉
「主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。」(詩編95編1節)