鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

安らかに去らせてくださる…(神の庭・サンフォーレのクリスマス)

今日は「神の庭・サンフォーレ」のクリスマスです。秦野にある老人ホームですが、クリスチャンの人々が入居しています。信仰を持って人生を行き、晩年の住まいは神様を見つめつつすごせる施設の建設を願ったのは10年前でした。神奈川教区の取り組みとしたいために議案として総会に提出しました。私が神奈川教区議長の時代でした。しかし、神奈川教区は独自に老人ホームを建設することはできません。それでサンフォーレという企業と手を組んで推進しようとしたのです。しかし、企業と手を結ぶことに危惧を持つ人々がおり、論議が平行して進みませんでした。そのため、議案を取り下げ有志の取り組みとしました。支える会を作り、入居する人々を支援することになったのです。基本的には信仰を持つ人々ですが、そうでない人も入居しています。月に二度礼拝をささげています。主事を置き、いつも入居者の話し相手になっています。讃美歌を歌う会を開いてくれる教会があります。その他、話し相手になってくれる人々もいます。こうした取り組みをしていますが、今日はクリスマスの集いをしました。やはり皆さんと一緒に「きよしこの夜」と歌うとき、クリスマスをお祝いしている思いが高まるのです。礼拝後はお茶の会があり、入居者の皆さんと懇談しながら過ごしました。
信仰を持って人生を生きてきました。いよいよ老人ホームに入ったとき、隣の部屋から聞こえてくるのは経を唱える声です。あるいはお線香の匂いです。それらは決して妨げにはなりませんが、やはり心から神様を仰ぎ見、声を出して賛美の歌を歌いたいのです。「神の庭・サンフォーレ」に入居している皆さんが、少なくとも信仰に生きる喜びを得ていることは確かです。いよいよ、その生活を支援してあげたいと思います。
長い信仰生活をしています。今まで教会を支え、担ってきました。教会の歴史と共に生きてきたのです。ところが加齢と共に次第に足が遠のいてきます。教会に行くには足元がおぼつかなく、家族からきつく止められるのです。「最近、あの方は見えませんね」と教会では語り合っています。なんか寂しさを感じます。牧師がお訪ねし、お話をし、お祈りをしてきますが、いつも行かれるわけではありません。「神の庭・サンフォーレ」があったとしても、家族は入居することを拒みます。自分たちで世話をするからと言う訳です。確かに老後の生活はしてくれます。しかし、信仰の交わりは希薄になります。家族が一緒に讃美歌を歌い、聖書を読み、お祈りしてくれることは、まれといわなければならないのです。最後まで信仰の喜びを持ちつつ過ごすことが願いです。入居できなくても、教会が何かのプログラムを持って高齢者の信仰生活の支援をしなければならないのです。どこの教会もこの取り組みが課題となっています。

聖書の言葉
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり子の僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」(ルカによる福音書2章29-30節)