鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

人にしてもらいたいと…(少年院の面接)

今日は少年院に赴きました。月に一度の割合ですが、少年院に行き、少年と面接しています。社会的な罪を犯して入院している少年と面接し、更正して社会復帰を目指すのです。大体、5、6回の面接です。その後は出院準備教育になり、面接は行われなくなります。今までの少年は終わり、今日から新しい少年になりました。いつも最初の面接の前に資料を渡され、これまでの経過を読むことにしております。そして、面接に及びますが、少年自らの経過を話してもらいます。なかなか話さないで、こちらからいろいろと尋ねる場合がありますが、今回の少年は自分から積極的に話してくれました。この少年は母親に対する暴力でした。他人には決して振るわない暴力ですが、母親には犯してしまうのです。他人には決して自分が出せないで、ひたすら自分を隠していますが、母親には思いっきり自分を出し、それが暴力という形になってしまうのです。友達ができ、互いに心を開きあって話すことができない少年。このような子ども達が多くいます。社会の中に入っていけない子ども達がいます。どうやって、それらの子ども達を社会に引き出して上げられるか、大きな課題であります。
少年は母親に暴力を振るい、母親はどうしようもなく保護を求めました。従って、母親が少年院に入れたことになります。そのことも少年はよく知っています。お母さんには本当に悪いことをしたと悔いています。少年院を出たら、一生懸命に母親孝行をするといっています。それよりも、社会に入って行かれるかが課題なのです。社会はなかなか自分を受け入れてくれないと分かったとき、そのジレンマは再び母親への暴力となるのです。社会復帰したら、まず自分が心を開くことであると助言しました。自分の殻の中に閉じこもっていたら、誰も相手にしてくれない。むしろ、自分から挨拶をし、自分から相手を受け入れていく姿勢が必要なのです。
少年と話すこと一時間、こんなによく話してくれるのに、社会では心を閉ざしてしまうのです。この少年とは、少なくとも5、6回の面接がありますから、社会復帰を目指して、他者の存在を受け入れる方向で面接をすることにしました。お母さんは毎月のように面会に来てくれていると言います。このお母さんの祈りは必ず応えられると思います。

聖書の言葉
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。」(ルカによる福音書6章31-32節)