鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

心に納めたマリアさん…(子どもの教会クリスマス)

子どもの教会のクリスマスの集いが開かれました。今日はまだ17日ですが、例年より一週間早めての開催です。いつもは教会のクリスマスの日に行っています。クリスマス礼拝が10時15分から行われ、その後は祝会です。祝会は午後2時30分くらいまで行われます。そして3時から子どもの教会のクリスマスを行うのです。ところが今年はクリスマス礼拝が24日になりました。24日の夜は聖夜礼拝が行われることになっています。朝から夜まで大変な一日になります。それで子どもの教会のクリスマスは一週間早めて17日に行うことになったのでした。
午後3時から始まりました。礼拝も祝会も幼稚園のホールで行いました。いつも出席している子ども達をはじめ、幼稚園のお友達も出席しました。祝会も楽しく過ごし、サンタクロースも登場して祝会を終えました。最近の祝会はその場でできる劇やページェントです。以前は劇を上演するにあたり、練習をして臨みました。しかし、今は練習することができません。いつの間にか練習しなくても楽しめる劇やページェントになりました。それはそれで結構楽しいのです。クリスマスで演じた劇は結構いつまでも心に残るものです。
私は小学校3年生から教会学校に通い始めていますが、クリスマスに演じた役割が今でも忘れられないのです。6年生になったとき、イエス様の降誕物語を演じました。私はそのとき大工さんになりました。ヨセフさんが大工であったので、その仲間であるということです。セリフもあまりなく、ただ登場して一言、三言のセリフでした。なぜこのときのクリスマスを覚えているか、訳がありました。その時、ヨセフになったのが小学校で同じクラスの福島君であったのです。福島君はその年のクリスマス前に教会学校に出席したのでした。私がいつも出席していたので、興味を覚えての出席です。その頃、教会学校ではクリスマスの劇の練習が始まりました。役割を先生が発表したとき、なんと福島君がヨセフ役でした。彼はハンサムで頭もよく、はきはきしていて適役だったのでしょう。面白くないと思ったのは私です。3年生のときから、ほとんど休まないで出席しているのに、11月頃から出席し始めた福島君を、主役的な役にするのは、なぜだろうと思ったのです。しかし、小学校でもいつも中心的な存在なので、ここでもそうなのかと思ったものです。先生は今後も福島君が教会学校に来るように励ましたのかも知れません。しかし、クリスマスが終わると福島君は来なくなりました。
このような思いがあるものですから、いつまでも覚えているわけです。きっとそのときは複雑な気持ちであったでしょう。でも、今は懐かしい思い出でもあります。福島君の件がなければそのときのクリスマスは忘れているでしょう。実際、3年生、4年生、5年生の時のクリスマスは忘れており、どんな内容であったか思い出せないのです。
クリスマスには精勤賞をあげています。一生懸命に出席してくれたお友達で、あまり休まなかったことで贈ることになっています。毎週、日曜日に教会に出席するのは、子ども達にとっても大変でもあります。最近は子どもだけで出席することはなく、保護者と共に出席しています。従って、保護者の都合が悪ければ休まなければならないのです。いつもはお母さんと共に出席していますが、お母さんの都合であったり、風邪を引いて出席できない状況になったとき、どうしても行きたいといいます。そこで仕方なくお父さんが一緒に出席してくれることもありました。私は小学校3年生の途中から出席したので、その年はもらえませんでしたが、4年生からは3年間精勤賞をもらいました。親が叱咤激励して通わせてくれたからでもあります。
もらえなかったことに奮起して、来年はぜひ精勤賞を得ることを願っています。こうして今年のクリスマスを終えました。もっとも、24日の朝の子どもの教会は、やはりクリスマス礼拝です。今日はむしろクリスマスの祝会でした。改めてイエス様のお生まれになった意味を示されながら礼拝をささげましよう。
聖書の言葉
「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」
ルカによる福音書2章19節)