鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「隠退牧師の徒然記」<149>

隠退牧師の徒然記(2013年2月1日〜)<149>
2013年2月20日 「安らかなる日々」 


聖書の言葉
神に従う人はなつめやしのように茂り、レバノンの杉のようにそびえます。主の家に植えられ、わたしたちの神の庭に茂ります。白髪になってもなお実を結び、命に溢れ、いきいきとし、述べ伝えるでしょう。わたしの岩と頼む主は正しい方、御もとには不正がない、と。
詩編92編13〜16節)



 隠退教師は暇である、と言いながらも、手帳の予定表には結構書きこまれている。一つは「神の庭・サンフォーレ」を支援する会の協力委員長であること。さらに「シルバさん家族を支援する会」の責任者になっていること。そして、3月から三ヶ月間、日本基督教団の推薦を受けて、マレーシアのクワラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師として赴くこと。加えておけば、やはり加齢によるものであるが、身体の補強が必要になっていること。これらの予定が書き込まれているものだから、現役時代のように、日々目覚めては、常に手帳を開いて確認する必要があるのである。去る2月15日はたまたま二つの会議が同じ日になってしまった。午後2時から神奈川県民センターで、「シルバさん家族支援委員会」が開かれたのである。このことについては、日を改めて記録することにする。こちらの支援委員会は3時30分頃終えていただき、その後は藤沢に向かう。藤沢の江ノ電ビルの中にサンフォーレ本社があり、その会議室で「神の庭・サンフォーレ」支える会協力委員会が午後5時から開かれたのである。「神の庭・サンフォーレ」についてもしばしばこのブログに記しているが、その後のこともあるので記しておくことによしよう。
 改めて紹介しておくと、「神の庭・サンフォーレ」を支援する会とは、秦野にキリスト教シニア・ホームを株式会社サンフォーレが建設する。その入居者のキリスト教牧会支援をするのが「神の庭・サンフォーレ」を支援する会なのである。現在27名位が入居されておられるが、その入居者に対して、隔週の礼拝、賛美の集い、牧会的支援等をしている。昨年の12月18日にはクリスマス礼拝及び祝会を開いている。今回は礼拝説教は委員長である私が担当したのであった。入居されている皆さんも礼拝を喜び、賛美の集いを心待ちにしていると聞いている。それだけ伺っても、「神の庭・サンフォーレ」の取組みは祝福のうちに導かれていると思うのである。「神の庭・サンフォーレ」が設立されてから、今年で15年になる。



1998年10月30日に開催された「神の庭・サンフォーレ」開設記念礼拝で
神奈川教区議長として祝辞を述べる。
15年前だから58歳である。若かったなあ。



「感謝の小さな集い」に連れ合いのスミさんも出席する。


 思えば1994年9月18日、19日に開催された「教区の宣教を考える会」で、今後「高齢者と共に歩む」ことを課題にすることが決められる。神奈川教区内に高齢者支援施設を作る計画はそこから始まったと言える。教区宣教委員会は「老人施設プロジェクト委員会」を立ち上げ、調査・研究をすることになった。当初は葉山にある物件をしぼりこんだのであるが、いろいろな付帯条件があり、撤退するしかなかった。その後、秦野にある旧日立寮の物件が候補となり、最終案として取り決め、神奈川教区の取組みとして教区総会の議案としたのである。しかし、教会が企業と結び付いて事業を興すことに対する疑義をもつ人がおり、総会では並行議論で決議することは困難であった。それで、プロジェクト委員会は議案を取り下げ、有志の取組みとしたのである。そして、1998年10月30日に「神の庭・サンフォーレ」開設記念礼拝・感謝の小さな集いを開催したのである。この年から今年で15年を経ているということである。開設に至るまでの四年間、困難な議論の積み重ねを経験し、いろいろな疑義を超えて開設に至り、今日の存在を示されたとき、祝福の存在であると思っている。
 株式会社サンフォーレは「支援する会協力委員会」の取組みを理解してくださり、サンフォーレ戸塚の三階フロアーをキリスト者のホームに提供してくれたのである。秦野にあるキリスト教シニア・ホームは郊外にあり、遠いことが課題であった。戸塚は横浜市内であり、多くのキリスト者の希望となっている。



サンフォーレ戸塚の三階フロアーがキリスト教シニアホームとなる。



2012年12月21日に開催されたサンフォーレ戸塚クリスマス礼拝。