鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<165>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<165>
2013年7月29日「最後のワークとして」



聖書の言葉
エスは答えて言われた。「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」。ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」。イエスはお答えになった。「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれた者は肉である。霊から生まれた者は霊である」。
ヨハネによる福音書3章3-6節)



 前週の7月26日に「神の庭・サンフォーレ」支える会協力委員会が、サンフォーレ本社の藤沢で開催された。私はその支える会の委員長を担っている。毎年、四回の委員会が開かれているが、特に今回は「神の庭・サンフォーレ」支える会が15周年になるので、記念誌を出版することの協議であった。「支える会」が設立後15年も経ているので、改めて年月を思いめぐらされるのであった。しかし、実際のところ、現在委員長を担っているものの、15年の歩みを振り返ることができないのである。「神の庭・サンフォーレ」の設立と、それに伴って「支える会」が発足したのは1998年10月30日である。その日、開設記念礼拝をささげたのであるが、「支える会」の委員の一人でもあったが、その時、私は神奈川教区の総会議長であり、祝辞を述べている。神奈川教区総会議長を二期4年務めた後は日本基督教団教師委員会委員に選任される。一期2年、教師委員会委員を務めた後は日本基督教団総会書記に選任され、四期8年務めることになる。このように神奈川教区や日本基督教団の職務を担っていたので、「支える会」の委員を担いつつも、あまり委員会に出席できなかったのである。「支える会」は今橋朗委員長を中心にして活動が導かれてきた。2010年10月に、ようやく日本基督教団総会書記の任を終えることになり、「支える会」委員会にも出席できるようになる。出席できるようになったが、今橋委員長は静養中で西田直樹副委員長を中心にして活動していたのである。その後、今橋委員長が静養のため辞任を申し出られる。委員会は新しい委員会組織として、委員長を選任したのであるが、今まで委員会に殆ど出席しなかった私を委員長に選任したのである。2011年であった。私としては、今まで副委員長としての責任を持たれて担ってくれた西田委員を委員長として選任することを提案したのである。しかし西田委員は、そもそもキリスト教シニアホームを神奈川教区内に立ちあげることに奔走したのは鈴木氏であるとし、委員長に推薦したのであった。私はその時、反論はしなかった。立ち上げることで西田氏も共に奔走したのであるが、一つは、今まで責任が持てなかったこと、そして、神奈川教区内にシニアホームを建設することを発案したのは私であったからである。だから委員長に推薦されたとき、辞退の弁を述べることなく、その場で受託したのであった。
 その辺りの歴史を思い出しておく。1994年9月18日、19日に開催の「神奈川教区の宣教を考える会」(宣教部委員会と教区執行部参加)が開催される。その時の宣教部委員長は私であった。諸分野にわたり神奈川教区の宣教の課題を協議した。世はまさに急速度に高齢化社会を迎えているときである。当然、神奈川教区としても高齢者とどのように歩むかの課題を示されていた。そのため協議を進める中でも「高齢者と共に歩む」課題を示されることになる。宣教部委員会は「教区の宣教を考える会」の課題を踏まえて、1995年1月14日に公開協議会を大塚平安教会で開催する。主題は「老後の生活」(教区内教職・信徒のための老人施設を考える)で、発題を馬場芳春さんと佐竹順子さんが行う。参加者は52名であった。神奈川教区は1995年3月14日に開催の常置委員会で宣教部の中に「老人施設プロジェクト委員会」を発足させる。委員は西田直樹、佐藤安彦、鈴木伸治、佐竹順子、水野喜美、馬場芳春各氏である。プロジェクト委員会は今後の取組みを協議する中で、神奈川教区が高額の施設を建設することは無理があること、むしろその道の専門家と歩みを共にすることが良策であると判断したのである。そこで株式会社サンフォーレ社長・堀井利修氏と課題を共有することにしたのである。以後、プロジェクト委員会は株式会社サンフォーレと共に調査研究を進めることにしたのである。調査研究を進める中で秦野市戸川字台130-4にある旧日立寮の物件をシルバホームにすることが決められるのである。そして調査研究をして神奈川教区高齢者住宅モデル案を作成したのであった。
モデル案を議案として神奈川教区総会で議論することになるが、教会が企業と協力してシルバホームを建設することの疑義が出され、諸議論を踏まえつつ、結局は有志の取組みにしたのであった。「神の庭・サンフォーレ」支える会が15周年を迎えたとき、その15年の歩みを書き残すことにし、結局取組みから始まる設立を知るのは数人であり、私が「15年の歩み」を執筆したのであった。原稿はまだ検討段階であるが、何かの機会に紹介したいと思っている。
20年前にキリスト教シルバホームの建設に取組み、高齢者の皆さんの祝福の住み家建設に奔走したのであるが、もはや私自身高齢者になっている。「支える会」委員長になっているが、支えられる身体になっているのである。しかし、まだ支える力があるようなので、担うつもりであるが、どうやらこの取り組みは、ライフワークとは言えないが、私の最後のワークになっているようである。



2013年6月18日、神の庭・サンフォーレの礼拝。
礼拝担当は奈良昌人牧師。



礼拝を喜んでささげる居住者の皆さん。



礼拝後、楽しいお茶の会のひととき。