鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<166>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<166>
2013年7月31日「余生を喜びつつ」


聖書の言葉
なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
(フィリピの信徒への手紙3章13節)



 隠退牧師と言いながら、三ヶ月間、マレーシア・クアラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師で赴いたり、横須賀上町教会では毎月第二日曜日の礼拝、聖餐式を担当したり、三崎教会のお招きをいただいたたりしている。8月には大塚平安教会のお招きをいただいており、10月には清水ヶ丘教会壮年会修養会講師を要請されたり、11月には青山教会の礼拝にお招きをいただいている。これでは隠退牧師というより、現役と同じではないかと思う。しかし、やはり隠退牧師である。ゆっくりと野球観戦ができるのは隠退牧師の喜びである。
毎年、夏になると高校野球で盛り上がる。甲子園もさることながら、地方大会から盛り上がりを見せるのである。当然のことながら自分と関わりのある学校が勝ち進むと、もう落ち着いてはいられない。野球場まで行かなくても、テレビで観戦できるので、その時間はテレビにくぎ付けになる。昨日30日に高校野球神奈川大会の決勝戦が横浜球場で行われた。平塚学園と横浜高校の優勝決勝戦である。私が応援しているのは横浜高校である。私は横浜高校の卒業生ではないが、付属の横浜中学を卒業したのである。小学校6年生を終え、中学に進むにつき、関東学院中学を受験する。その頃、関東学院教会の日曜学校に出席しており、その日曜学校はほとんどが関東学院小学部の生徒であった。それらの友達と触れ合っている中で、自分も関東学院中学に入る気持ちになったのである。しかし、受験は不合格になる。それで、小学校担任の先生が、このまま市立中学には行きにくいだろうからと、私立の横浜中学を勧めてくれたのであった。横浜中学・高等学校と一貫校であったが、中学卒業後は県立商工高等学校に進んだのであった。これも、清水ヶ丘教会のぶどうの会(高校生会)の多くの皆さんが県立商工の学生であり、その気になったというわけである。そう考えると、私の進路はいつも周囲の環境によって決めていたようである。
 しかし、今になって横浜中学を卒業したことが、喜びを与えてくれているようである。横浜高校を応援することができるからである。一昨年は横浜高校が神奈川大会で優勝し、甲子園に行くことになる。あまり覚えていないが、心を躍らせて観戦したのであろう。昨年は桐光学園が優勝している。すごい松井投手が現れて、横浜高校は準々決勝でその桐光学園に敗れたのである。打倒松井投手で1年間練習をしてきて、その松井投手を準々決勝で破り、決勝に臨んだのである。横浜高校桐光学園と試合をする時、全国的に注目されている松井投手には勝てないとも思っていた。それが見事に勝てたので、もしかしたら優勝するかもしれないとの思いが高まってくる。30日に行われた決勝戦は、テレビの前にしっかりと腰を据えて観戦したのであった。横浜高校が優勝し、甲子園に出場することになったので、8月はもう少し楽しみが長くなりそうである。



7月30日に高校野球神奈川大会の決勝戦が行われ、
31日の新聞、横浜高校の優勝記事を楽しみつつ読む。



 隠退牧師の徒然記として記している。こんなに呑気なことを記していいのかな、なんて思っている。私は小さい頃から野球には関心を持っていた。だからと言って自分が野球をするのではないが、観戦の楽しみを持っている。その観戦も野球場まで行くのではなく、夕食は野球中継を見ながらである。しかし、読売巨人軍が行う試合のみである。「巨人・大鵬・卵焼き」と言われた時代があったが、私はそれよりずっと以前より、巨人を応援している。小学生時代までさかのぼるのかも知れない。しかし、だからと言って、夢中になって巨人軍を追いかけているわけでもない。
 日本基督教団総会書記を四期8年間も担うことになる。山北議長とは8年間も共に三役を担ったのであった。その山北議長は阪神タイガースの大ファンで、公務以外の時、頻りと阪神タイガースのお話をする。阪神が試合に勝った時には、ひとしきり話がはずむ。読売巨人軍を応援している私は、喜んで阪神タイガースの話をする山北議長には、頷いているだけである。ついに最後まで、私が読売巨人のファンであることについては話さなかった。
 隠退牧師の喜びを記してみた。現役のように、あちらこちらからお招きをいただいているとしても、やはり隠退牧師、余生を喜びつつ過ごしていることを報告しておく。