鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

霊の支配をいただきつつ(藤田昌直先生を偲ぶ )

今日は土曜日であり、明日の礼拝の備えで一日を過ごしました。そのことについては特記すべきことはなく、何を書こうかと思案していました。何か参考になることはないかと、聖ヶ丘教会牧師・教団議長の山北宣久先生が「今日は何の日?」という本を出されているので、今日の日を開いてみました。今日はドストエフスキーが生まれた日、またキェルケゴールフォーサイス、H・クレーマーが亡くなった日であると記されていました。そして、もう一人、藤田昌直先生が亡くなった日であるとも記されていました。そこで、改めて藤田先生を偲ばせていただきました。
藤田昌直先生は1982年に77歳で召天されています。先生には日本聖書神学校で教授であり、牧会学を学ばせていただいております。私が神学校に入るのは1963年であり、藤田先生はその頃の神学校を担っておられたと思います。その頃は神学校が創設されて15年くらいでしたので、神学校の全般的なお仕事をされていたと思います。先生は小石川白山教会の牧師であり、神学生の頃、その教会の掃除のアルバイトをしていたことについては、以前にも記していると思います。土曜日になると、大きな小石川白山教会に行き、朝から夕刻まで掃除をしていました。何故そんなに時間を要したかと言えば、当時の教会の床はコンクリートであり、箒で掃くとかなりの土埃が舞い上がるのです。その後にベンチや講壇の拭き掃除をしても、空気中に浮遊した土埃が降りてきますので、しばらくは拭き掃除ができないのです。しばらくは時間を置いてから拭き掃除をするのでした。二階席まであって、ベンチを拭くのも時間を要しました。石炭ストーブでした。礼拝中にストーブに石炭を小シャベルで入れると、ガラガラと音がするので、音がしないように、石炭を新聞紙に包み、いくつも作っておくのです。二つのストーブのために石炭の用意も時間を要しました。夕刻、掃除が終わり、牧師館に行くと、いつもは先生のご夫人が「ご苦労さん」と言いながら、その日の日当を渡して下さるのでした。時には先生自身が渡してくれたこともあります。
従って、先生との出会いは使用人であり、神学生としての出会いではなかったのです。上級生になって、先生から牧会学を学ぶことになり、牧師の基礎的なことを教授されました。ある日、先生の授業を受けるため教室に行くと、他の学生はまだ誰も来てなく、何故かその日は先生が早く来ました。他の生徒がいないので授業にはならないので、しばらくは先生と雑談をしていたことが思い出されます。何を話したのか定かではありませんが、社会活動に対する姿勢を問われたようにも思います。その頃、学生自治会の委員長をしていたので、私の姿勢を問うたのでしょう。どのように答えたのか覚えていませんが、先生と二人の時間を持てたことが懐かしい思い出となっています。
はっきり言えば、先生は霊的な方でした。神学生として神学的な方向を求めている私は、先生の霊的な姿勢は敬遠したのです。しかし、私が入学した頃の校長先生は金井為一郎先生であり、最も霊的な先生でもあったのです。金井先生は私が入学してから半年後に召天されました。栄光に輝く金井先生の印象は強く残っています。その頃の神学校は全体的に霊的な雰囲気がありました。その意味では、私は神学生の時に霊的な訓練を受けるべきではなかったかと、時々思ってもいるのです。藤田昌直先生に師事していたら、今とは異なる牧師になっていたでしょう。

聖書の言葉
「神の霊があなたがたの内に宿っている限り、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなたがたのうちにおられるならば、体は罪によって死んでいても、『霊』は義によって命となっています。」
(ローマの信徒への手紙8章9-10節)