鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

祝福の香り(祝福式 )

今日は教会で祝福式が行われました。幼稚園児の家庭に呼びかけ、教会が主催して行ったのです。昔、11月15日前後になると、早引けして帰る子ども達がいました。いわゆる753のお祝いのため神社に行くためです。健やかな成長を願うのはどこも同じであり、わざわざ神社に行ってお祈りしてもらわなくても、教会こそ子どもの健やかな成長を祈るところです、と言い、教会で祝福式を行うようになりました。753の年齢に限らず、0歳児から就学前としていますが、趣旨を理解して小学校に入っていても祝福式に臨むのです。午後2時から行いました。まず全員で礼拝をささげます。礼拝に続いて一人一人の名が呼ばれ、牧師から祝福をいただくのでした。そして、祝福を受けた子ども達には祝福証書とプレゼントが与えられます。祝福証書には次のように記されています。
「あなたは今日までとても良い子に成長されました。
これからも主イエス・キリストのお心により、さらに良い子になるようにと祝福を与えられました。
神様と人々に喜ばれつつ成長されますように。アーメン。」
「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である。」(マタイによる福音書5章13、14節)
幼稚園は、今日は午前保育としました。幼稚園でも今日の礼拝は祝福礼拝でした。いつもの金曜日合同礼拝の中で、祝福を行いました。クラス毎に牧師(園長)の前に集まり、クラス全員に祝福のお祈りが与えられるのです。
それにしてもドレーパー記念幼稚園の子ども達は祝福を常に与えられています。そして、祝福を受けることがとても上手です。牧師が子どもの頭に手を置きお祈りするとき、子ども達は手を組んでお祈りの姿勢を持ちます。自然にそのような祝福を受ける姿勢になるのです。幼稚園に入り、卒業するまで5回、6回と祝福を受けることになります。まず誕生会の祝福があります。園長(牧師)が子どもの頭に手を置き、「○○さんに、神様のお恵みと祝福がたくさんありますように」と祈ります。そして11月の祝福礼拝でクラスのお友達と共に祝福をいただくのです。その日の午後に行われる教会の祝福式に臨む子どもいます。すると一年間に3度、祝福を受けることになります。3歳から入園し、卒業までに9回も祝福を受けるのです。そして、卒業式には、園長は修了証書を渡しつつ頭に手を置き祝福のお祈りをいたします。「神様を愛し、人々を愛する人になりますように」と祝福のお祈りを与えつつ送り出すのです。こうしてたくさんの祝福をいただく子ども達です。健やかな成長が導かれることを心からお祈りしています。
聖書には、主イエス様が子ども達を祝福したことが記されています。イエス様が人々にお話しをしています。お父さんやお母さんと共に子ども達も来ています。子ども達はお話を聞くのではなく、適当に遊んでいたのです。それがイエス様のお話しの差しさわりになると弟子達は思いました。だから、子ども達は向こうの方へいきなさいと、イエス様の周囲から追いやろうとしたのです。するとイエス様は、そのような弟子達の所作を注意し、「子ども達をわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(マルコによる福音書10章13節〜)と言われました。「そして、子ども達を抱き上げ、手を置いて祝福された」と記されています。子どもを祝福する根拠となっています。その他でもイエス様は子どもについての教えをしていますが、大人である私達が子どもから学ぶことを教えています。「自分を低くして、子どものようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」(マタイによる福音書18章3節)と教えられています。

聖書の言葉
「ああ、わたしの子の香りは、主が祝福された野の香りのようだ。」(創世記27章27節)