鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

時が来れば実現する神の言葉(忙中閑詩 4 )

今日は綾瀬ホームの礼拝が朝の8時30分から行われ、その後は座間立野台地区の家庭集会が10時30分から開かれました。教会には12時頃戻り、食事の後は手紙を書いたり、事務仕事をしたりしてすごしました。今日も特段のことがないので、例によって昔の拙い詩を載せることで、ブログのノルマを果たすことにしました。

「いつなのですか」
いつなのですか、主のみむね
思いをつくしてあらわして
あふれるばかりの喜びを
得て知る恵みのその時は。

いつなのですか、主の愛を
思いをつくしてあらわして
自分ではない主のこころ
人に知られるそのときは。

いつなのですか、あの人が
こころ開いてよろこんで
ささやかな主の愛を
受けて変わるそのときは。

いつなのですか、と今日もまた
夕べに祈り朝祈る
いつか必ず主のみむね
なると信じているのです。


( 1981年2月1日 週報 )


聖書の言葉
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」(ルカによる福音書2章29節)