鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <126>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<126>
2012年7月27日 「ひたすら走り」 



聖書の言葉
わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと務めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
(フィリピの信徒への手紙3章12-14節)




此処のところ、いくつかの教会から記念誌、教会史をいただき、それぞれ読ませていただいている。「横須賀上町教会」(100年のあゆみ)については、既に触れている。7月29日に三崎教会の礼拝説教を依頼されており、そのため今は三崎教会の代務者になっている生野隆彦先生が「三崎の沓跡」という記念誌をご恵贈くださった。これについては後日触れることにしている。もう一つ送られている。東戸塚教会の「開拓伝道40周年記念文集」を同教会の牧師、藤田穣先生が送ってくださったのである。A4版146頁の文集の表紙は青空の中にくっきりと教会の十字架が立ち、世に福音を発信している様を示される。記念文集には藤田穣牧師の歴史を辿る手記、また教会の皆さんのお証、表にまとめた歴史等は、貴重な資料として歴史に残されるであろう。特に表にまとめた歴史を重く読ませていただいた。1972年6月からご自宅を開放して開拓伝道を始められる。当初は藤田穣先生自身は補教師であり、まだ日本基督教団の公認も受けないままの集会であるので信徒もゼロである。当初はお連れ合いと共に始められた開拓伝道であるが、翌年の1973年には日本基督教団の伝道所として認可される。その時点で現住陪餐会員が4名であった。1988年には自宅を改装して教会とされる。同時に第二種教会設立の決議をされるのである。そして1989年7月には日本基督教団の第二種教会設立式を挙行されたのである。2002年6月には創立30周年を迎え、その時の記念礼拝には私がお招きをいただき、「今日、救いが訪れる」と題して礼拝説教を務めさせていただいたのである。随分と昔と思っていたが、今年で40周年であるので、10年も前のことなのである。



東戸塚教会の「開拓伝道40周年記念文集」



 藤田穣先生は、実は日本聖書神学校で同級生であった。しかも私が神奈川県立商工高等学校電気科を卒業したのであれば、藤田先生は化学科の卒業生であった。奇しくも同じ学校を卒業し、そしてまた同じ学校で学ぶことになったのである。彼は味の素株式会社に勤務しながら勉学に励んでいた。昼間は会社務め、夜は神学生としての学びはご苦労が多かったと思う。開拓伝道を始めるについても会社務めを続けながら始められたのである。そのあたりの心境を記念誌に記されている。「外から見れば、普通の自宅、内から見ればサラリーマン牧師、信徒伝道の延長の感無きにしもあらずで開拓伝道はスタートする。しかし、また私のような存在を許容してくださった味の素株式会社、はごろもフーズ株式会社には、感謝にたえない」と述懐されている。2011年度の会員状況は現住陪餐会員47名にもなっている。ご夫婦で始められた開拓伝道が40年後の今日、豊かな祝福の存在になっていることを、心からお喜びを申し上げたい。
 記念文集の「はじめに」において、藤田穣牧師は神学校を卒業するときに、岡田五作校長からいただいた色紙の言葉が、これまでの歩みの支えになっていると記されている。その色紙には、「唯、この一事を務む」(フィリピ3章12節)と書かれているのである。実は私も同じ言葉の岡田先生からの色紙を部屋に掲げている。私がいただいた色紙は「ただ、この一事を務む」である。岡田五作校長先生は卒業生をご自宅に呼ばれ、食事を共にしてくださった。その時、卒業生の人数分の色紙を差し出され、この中からどれでも取るように促される。いくつかの聖書の言葉を筆字で書かれている。私は、この言葉こそ私に示されているとしていただき、今日まで書斎に掲げているのである。藤田穣先生も同じ言葉を選ばれているんだ、と今回の記念文集により示されたのである。そうであれば、藤田穣先生も私も「この一事」のために今日まで歩んで来ているのである。藤田穣先生はまだ現役として「この一事」のために励んでいる。私の場合は、既に隠退しているのであるが、「この一事」は今も使命として歩んでいるのである。六浦谷間の集会として連れ合いのスミさんと礼拝をささげていること、毎週の礼拝説教は今もなお作成していること、その説教をブログで公開していること、いくつかの教会の礼拝のお手伝いをしていること、隠退してもなお「御言葉に向かう」歩みを導かれているのである。だから、隠退という言葉、隠退と言う身分はよろしくないと思っている。教団の制度に身を置いているのであるが、現役としての「この一事」に向かっている姿勢は持っているのである。
 東戸塚教会の「開拓伝道40周年記念文集」を拝見して、「この一事」を改めて示されたのである。そうであれば、昼寝はやめにしようか。