鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

共に苦しみ、喜びつつ(幼稚園の歯磨き指導)

今日は、幼稚園では歯磨き指導が行なわれ、お母さん達には口の衛生についての講演がありました。幼稚園の歯科医である武内先生には、6月に歯の検診をしてもらいます。そして、秋になると実際に歯磨き指導をしていただくのでした。衛生士さんが9名も来られ、具体的に歯磨きの仕方を指導してくれていました。お母さん達も実際に歯の手入れについて知ることができ、お子さんの歯の健康を心がけるでしょう。こうして幼児の時から歯磨き指導を受けていると、いつまでも、老人になっても良い歯を持つことでしょう。
残念ながら、歯の衛生については指導もなく成長しましたので、私は4本の義歯があります。4本で抑えることができたのは、10年前にこの武内先生に出会ったからでした。それまではお父さんの先生で、幼稚園の子ども達の歯の検診をしてもらっていました。私自身も歯が痛くなるとお父さんの先生に診てもらっていたのです。歯医者さんは歯が痛くなってから行く所と思っていたのです。昔はどこの歯医者さんも予防については示しませんでした。歯が痛くなると、昔は正露丸を含んだものです。そのうち、イソジンリステリンといううがい薬を用いるようになり、何とか痛みをしのいでいました。しかし、根本的に治していないので、またすぐに痛くなるのです。さらに昔の人は、やはり歯が痛くなったろうと思いますが、どのようにしていたのでしょう。ところが、息子の代になり、歯は予防から始まることを示されました。歯槽膿漏も全治しましたし、4本の歯を失くした後は、予防に努めているので、痛くなることはありません。今は年に4回程度、衛生士さんに歯の面倒を見てもらっているのでした。
年を重ねると、体の障害が出てきます。私の場合は4本の義歯ですが、さらに目は白内障になりました。2年前に白内障の手術をしたのです。2年前の今頃、教団総会の前でした。来週の火曜日から木曜日まで教団総会が開かれることになっており、2年前の教団総会前のことを思い出していました。白内障であると診断されたのは2年前の春でした。その頃、なんとなく世の中が暗く見えるようになり、私の心の反映かなと思っていました。車を運転していても計器の針がよく読めないのです。ナビで検索しようとしても、文字が見えにくく苦労していました。ようやく眼科に行くことになり、白内障と診断されたのです。春に診断されたものの、なかなか手術の日程が取れなく、まず9月の始めに右目を、10月の始めに左目の手術をすることになりました。いずれも日帰りの手術で、前後は忙しく目薬を注入していれば良いのです。白内障は悪くなった生まれながらのレンズを取り去り、人工のレンズを入れることで治すことができるのです。2年前の教団総会は、術後であり、目薬をさしつつの会議でした。
こうして目も歯も人工のもので補強することにより、何とか復元しつつ生きることができるわけです。だんだんと人工のものが体に多くなっていくのは、さびしい限りですが、止むを得ないことでしょう。私の姉はリュウマチを15年間も患いました。もろくなっていく骨を補強するため、体のあちらこちらに金具を埋め込み、体を支えて生きたのです。若いときからキリスト教の信仰に導かれ、結婚しないで、両親と共に、私に代わって過ごしてくれた姉の人生には深い教えを与えられています。病と闘いつつ、常に感謝を神様にささげて生きた姉の証しを「今日も一日生かされて」と題してまとめました。いずれこのブログでも記すことにします。
要するに予防をしつつ人生を生きることですが、体全体の予防は際限なくありますので、つい見過ごしてしまうこともあります。何よりも神様に祝福されるために、予防しなければなりません。この体は限りがありますが、永遠の生命への備えをもつことが、何よりも大切であると示されています。
聖書の言葉
「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」(コリントの信徒への手紙<一>12章26節)