鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

語る言葉の祝福(床屋さんで語らいつつ)

床屋さんにいきました。月に一度くらいの間隔でいきます。連れ合いに、床屋さんに行ってくると言うと、しげしげと私の頭を見つめ、どこを刈るのかと言うのです。床屋さんに行くほど髪の毛がないというわけです。そのくらいなら私が刈ってあげると言います。彼女は美容師の免許を持っているので、髪の毛を手入れすることは得意でもあるのです。何回か連れ合いにしてもらったことがあります。でも、やっぱり床屋さんに行ったほうがすっきりします。結局、床屋さんは、髭を剃っている間、椅子にバイブレーションが働き、気持ち良いからとの理由が優勢になり出かけることになるのです。
床屋さんに行くと、この店は予約制であり、従って他にはお客さんがいません。いろいろと世間話をすることができます。以前は予約制ではなかったので、他にもお客さんが待っていたり、三人で理容をしていたので、それぞれの場で話しが弾んでいました。私に対してもいろいろと話しかけてくるので、私は適当に答えるだけで、私の方からは話をしませんでした。椅子に座るとひたすら目をつぶっているものですから、床屋さんも何も話しかけませんでした。いろいろと話すうちに、他の人が聞いており、あそこの園長が、あるいは牧師があんなことを言っていたと風聞になるのが嫌でもあるのです。以前、その頃、幼稚園の教諭をしていた横須賀上町教会牧師の森田君と外食店で語らっていました。そしたら園児のお父さんがその店にいたらしく、早速うわさになってしまいました。よくよく注意しなければと思ったわけです。その床屋さんは引退され、一緒に理容をしていた人が後を引き受けました。予約制で一人でするようになったのです。予約制なので他にはお客がいません。何を話しても人に聞かれる心配はありません。野球の話、山の話、社会の話等、私の知らないことを話してくれるので、結構参考になるのでした。
床屋さんで思い出すのは、23歳までは実家の近くの床屋さんに行っていました。家にもお風呂はありましたが、近くの銭湯に行きます。銭湯で髭を剃っていると、床屋さんも来ており、危なっかしいので見ていられないと言い、髭を剃ってくれるのです。サービスでもありますが、そんな親しさがありました。神学生時代の6年間、青山教会時代の4年間はどこの床屋さんに行ったのか覚えがありません。おそらく特定の床屋さんではなく、町にあるいろいろな床屋さんに行ったのでしょう。町の理容店は流れ作業的で、好ましく思ってはいませんでした。髪の毛を切る人、頭を洗う人、髭を剃る人が皆違うのです。従って、最後の仕上げのときは、いちいち指示しないと好まない髪型に仕上げてしまうのでした。
宮城の教会に在任していた頃は、幼稚園の庭の隣が床屋さんでした。7年間そこで頭の面倒を見てもらいました。その床屋さんは、履物を脱いで入ります。いわゆる近所ですから、家族ぐるみの話しが弾むのでした。終わるとお茶を出してくれます。そこでまたひとしきり話しが弾み、結局、床屋さんに2、3時間を要するのでした。本当にのんびりとして生活で、今では考えられない時間の取り方でした。忘れもしないのが、髪の毛を切っているとき、連れ合いのスミさんが営業の人を連れてきました。玉川こども百科事典の売込みで、我が家でも子ども達に必要であるから買おうというわけです。床屋さんも応援演説を始めて、お子さんのためにも必要ですねえ、なんていうものですから、買わざるを得なくなりました。その事典の背表紙を見るたびに、その頃が思い出されるのでした。三人の子ども達は、長女の羊子が小学校低学年でした。その羊子が三歳の頃からピアノの練習をしていたので、その頃も連れ合いが練習させていました。夏ともなると窓を開けていますので、床屋さんにも聞こえるのです。昨日は練習していましたね、ベートーベンですか、なんて聞かれるのでした。
床屋さんに行くと社会の人々のものの考え方が示されます。とても参考になると思っています。今度行く頃は七五三のお祝いの頃で、きっと話が弾むでしょう。
聖書の言葉
「あなたは、自分の言葉によって義とされ、自分の言葉によって罪あるものとされる。」(マタイによる福音書12章37節)