鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

目を覚ましていなさい(防犯訓練)

今日は幼稚園において防犯訓練を行ないました。学校等に不審者が侵入し、悲惨な事件を起こしたことについては、悲しみと共に、対策を講じなければならないと示されています。国や県等も不審者対策について情報を流し、取り組みを求めています。当園は既に不審者進入時の対応マニュアルを作成していますが、実際に訓練はしていませんでした。それで本日の実施となりました。火災や地震非難訓練の時には、あらかじめ放送します。激しいベルがなるので、事前に知らせておかないと子ども達がびっくりするからです。今回の防犯訓練は、訓練であることを知らせず、いきなり実施しました。不審者(佐竹職員)が顔マスクをし、刃物とピストルを持って門から進入しました。いち早く不審者を見つけたので、園長が全園児に放送で知らせます。「悪い人が入ってきたので、皆さんはすぐに先生の所に集まってください」と呼びかけます。その時、年長組は体操の大山先生と園庭にいました。他の子ども達はそれぞれのクラスにいました。言われた通りに子ども達は先生の所に寄りました。不審者はなにやらわめきながら園舎に侵入します。各クラスを駆けて回る予定でしたが、不審者が言うには、ゆり組にいた子ども達がかなり恐れをもって見たので、刺激が大きくなると判断し、玄関ホールに入ってから、すぐに園庭に出たとのことです。そこへ、果敢にも平田主任と室谷職員が「さすまた」と「防御盾」を持って不審者に立ち向かっていきました。体操の大山先生も立ち向かっていきました。欅の木の下まで追い詰めて、「さすまた」で動けなくなっている不審者に説得します。不審者は分かったと言い、首をうだれて門を出て行ったのです。そこで、園長が「今のは、悪い人が入ってきたときの練習です。いつも気をつけていましょう」と放送して防犯訓練を終わりました。子ども達は、最初は本当に不審者だと思ったようです。恐れをもったでしょう。しかし、よく見れば、顔マスクをしているものの、佐竹先生であることを知ってしまいました。
実際に不審者が侵入してきたら、このような状況ではないでしょう。しかし、日ごろからすぐに対応ができる訓練が必要です。「さすまた」は二本、「防御盾」も二つ備えています。それらを持ったり、使ったりしてないと、実際の時には使えないのです。警察への通報装置を導入しています。その工事が終わり、最終的に試験をするばかりになっているのですが、設置業者の都合で完成されていません。各教室には不審者侵入に対する非常ベルボタンがつけられています。これも実際に鳴らす訓練をしなければなりませんが、幼稚園の場合、現実的に行なうと子ども達が恐れてしまいます。火災訓練のときも、事前に大きな音でベルがなることを知らせていても、ベルが鳴ると泣き出した子どももいました。
不審者と共に夜の侵入者対策もしています。夜、門に近づくとライトが点灯するようになっています。また、図書室の外側には門に向けてカメラを設置しています。夜になると進入防止装置のスイッチを入れておきます。窓を破り、玄関ホールや教職員室、園長室に入るとセンサーが働き、激しい音で非常ベルがなります。同時に園長宅の電話と園長の携帯電話に「不審者進入」との声が送られます。問題は、進入防止装置を朝になって解除しなければなりません。つい解除しないで園長室に入ってしまい、非常ベルを鳴らしてしまったこと三回、四回でした。過去二、三回泥棒に入られました。そのときはまだ防犯装置をつけていませんでした。職員室の机という机の引き出しはすべて開けられていました。お金や貴金属を置いているわけではなく、被害はありませんでした。品物は盗まないようです。
日ごろの備えについては一般社会においても言われていることです。聖書もまた「その日、その時」のための備えについて示しています。聖書の場合は、終末であり、私たちの生命の終わりに対する警告であります。生命の終わりを平安のうちに迎えられるか、ということです。永遠の生命が約束されています。その備えをしたいと思います。
聖書の言葉
「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたに分からないからである。」(マルコによる福音書13章33節)