鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

お友達を愛しつつ(幼稚園の紹介)

幼稚園の入園説明会を開きました。10月15日に次年度入園の願書を配布します。そして、今日は幼稚園の説明会を開催するのです。少しでも幼稚園を理解していただくためですが、幼稚園としても、次年度はどのくらいの子ども達が入園するのか知りたいのです。この説明会には入園を希望される皆さんは大体出席するので、傾向が分かるのです。今日は、ブログを読んでくださる皆さんにも当ドレーパー記念幼稚園をご理解いただくために、幼稚園の紹介をいたしましょう。
ドレーパー記念幼稚園は2006年で創立44周年を迎えています。当幼稚園は1962年(昭和37年)に大塚平安教会付属ミス・W・ドレーパー記念幼稚園として開園しました。開園に至りましては前史を見ないわけにはいきません。大塚平安教会の前身である日本メソジスト教会大塚講義所ができるのは1929年であります。キリスト教がこの地域に蒔かれたということです。その頃、横浜や藤沢の諸牧師が応援に来ますが、その中にドレーパー宣教師がいました。この界隈の青年達に農民福音学校を開きました。今で言うカルチャーセンターです。現在でも高齢者の中にはこの福音学校に出たと言う人がおられます。ドレーパー宣教師と共にこの界隈にやってきたのが娘のミス・W・ドレーパー先生でありました。農繁期に子ども達が所在無く過ごしているのを知り、その子ども達を集めて季節託児所を開設しました。毎日の開設ではなく、農繁期の忙しいときですから、結構続いたようです。ドレーパー先生がアメリカに帰るのは1939年ですから、約10年は続いたことになりますが、詳しい資料が残されていないので不明です。この季節託児所は大塚平安教会が引き続き担いましたが、牧師の病気により2年程で閉鎖しました。そして、その後1962年に大塚平安教会が幼稚園を開設にするに至りました。開設にあたり、やはり前史を重く受け止め、ミス・W・ドレーパー先生を記念することになったのでした。当初は大塚平安教会付属ミス・W・ドレーパー記念幼稚園との名称でしたが、「ドレーパー記念幼稚園」としたわけです。それでも長いといわれます。「記念」を取ったらどうかと言われます。しかし、「記念」はなければなりません。前史を作られた重い意味があるのです。時々、「ドレーパー幼稚園」といわれる方がありますが、それは正しい言い方ではないので訂正してもらっています。記念するとは、ドレーパー先生が取り組んだことを受け止め、踏襲することでもあるのです。単にドレーパー先生の幼稚園ではないと言うことです。先生の重い取り組みを私たちは受けつぎ、子ども達を祝福の成長へと導きたいのです。
時々、「ドレーパー記念幼稚園の伝統」という言葉を聞きます。当園の伝統とは何でありましょうか。それは、やはり「記念」が意味を示しているといえるでしょう。神様のお心にあって、一人の存在を受け止めるということなのです。子育て支援と言い、いろいろな保育の取り組みがありますが、私たちは「記念」に基を置いています。従って、「記念」から外れることにおいて「伝統」が崩されていると指摘されるのです。「ドレーパー記念幼稚園の伝統」を大切にしながら幼稚園を担っていくでしょう。
このような幼稚園でありますので、自ずと三つの教育特色が生まれてきます。一つは、言うまでもなく「キリスト教教育」です。イエス・キリストの教えを土台とすることがキリスト教教育です。その教えというのは、「私たちの隣人を愛する」ことであります。他者の存在を受け止めつつ成長することは、どんなにか祝福でありましょうか。二つ目は、「統合教育」です。障害を持つ子供と健常児が共に成長するのです。どんな友達も一人の人間として生きているのです。一緒に成長することはお互いに良い成長が導かれてきます。三つ目は「遊びを重んじる教育」です。子ども達はすべてが遊びの生活なのです。遊びを通して自主性、創造性が生まれてくるのです。子ども達が減少しており、そのまま当園の減少になっていますが、この大切な使命を担っていくでしょう。
聖書の言葉
「隣人を自分のように愛しなさい。」(マタイによる福音書19章19節)