鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

葬儀の後で和尚さんと

 
 幼稚園の子ども達と共に過ごすことは何よりの喜びですが、私の働きの中には高齢者の生活を支える取り組みがあります。高齢者の生活を支える活動をしている「神の庭サンフォーレにおける支える会」委員会が開かれました。秦野にある高齢者の生活ホームであり、入居者を支える働きをしているのです。約8年前に「神の庭サンフォーレ」というキリスト者の高齢者生活ホームが開所しました。運営をするのは株式会社サンフォーレであり、支える会は入居者を支えます。信仰に生きて高齢者となり、家族から離れて生活するとき、本人の原点、信仰の生活はそのまま続けて生きます。その場合、キリスト教に関係のないホームであると本人の信仰が無視されてしまうのです。日曜日には礼拝に出席すること、個人の生活においても賛美と祈りの生活は保障されなければなりません。静かに聖書に向かうときにも民謡や演歌が流れて、霊性が損なわれます。中には他の宗教に入っている人がいて、経を唱えたり線香をたいたりします。そのような弊害のないホームに住みたいのです。朝、目が覚めれば賛美の曲が流れ、昼間には神様のみこころを示され、夕べには感謝の祈りをささげつつ就寝する、そのようなホームを目指しました。神の庭サンフォーレでは月に二回礼拝をささげます。いろいろな教会の牧師が礼拝を担当します。賛美のグループが訪問し、入居者の皆さんと讃美歌を歌います。話し相手のボランティアが皆さんと共に過ごします。神様を信ずる者の交わりであり、祝福が増し加わるのです。日曜日になると近くの教会へ送迎してくれます。こうして信仰に生きてきた人生が、この老人ホームでも保障されるのです。
今日、高齢者が多くなり、昔は幼児の送迎バスばかりが目に止まりましたが、今は高齢者関係の車が横行しています。デイケアへの送迎車、○○ホームと書かれた車など、必ず見かけるのでした。そのような中で、今まで生きてきた人生が保障される老後が求められます。多くの場合、その頃になると知的後退があり、自分がわからなくなっている高齢者であり、家族の思いで決めてしまう場合があるのです。その人が生きた人生の尊厳があります。尊重されなければならないのです。
私の両親は私が牧師になることを理解してくれましたが、だからといって自分が同じキリスト教を信じるということはありませんでした。子どもの生きる道であると信じてくれたのです。両親は浄土真宗の信仰を持ち、父はお寺の熱心な門徒でありました。何かとお寺で開かれる集いに出かけていきました。かなり高齢になっても、駅まで20分くらい歩き、二駅電車に乗ってのお寺でありますが出かけていきました。まず母の葬儀のとき、そのときは父はおりましたが、もはや90歳であり葬儀の仕切りは私に任せました。葬儀は自宅で仏式で行いました。母の通夜葬儀には友人の牧師達が列席し、終わってから清めということをしますが、和尚さんを囲んで7、8名の牧師がお酒を飲みながら話し込んでいる様は、不思議な光景であったと家族の者が言うのでした。父の葬儀の時にも自宅において仏式で行いました。外には花輪を立てかけますが、その最初に「大塚平安教会」があり、仏式の葬儀でキリスト教の花輪が飾られている、これも不思議な光景でありました。「この家の息子さんはキリスト教の牧師さんなんですって」との声も聞こえてくるのでした。
たとえ、私がキリスト教の牧師であっても、生涯を浄土真宗の信仰を持って生きた両親は、その人生を尊重しなければなりません。本人の信仰の人生を葬儀において称え、幕を引くこと、これは生きている者の勤めなのです。今日、高齢者を見つめて、あるいは共に生きるとき、一人の高齢者の尊厳、生きた人生を祝福してあげたいのです。自分の都合で高齢者を左右してはいけないと言うことなのです。

聖書の言葉
「白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。」(レビ記19章32節)