鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<407>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<407>
2016年4月15日「新緑を喜びながら」



聖書の言葉
日々わたしに迫るやっかいなこと、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないではいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。
(コリントの信徒への手紙<二>11章28-29節)



4月も半ばとなり、本格的な春となっている。桜の花や桃の花、そしていろいろな木に咲く花等を喜んで鑑賞していたが、花も終わりになりつつある今、それぞれの木は新緑の葉が生え始めている。我が家の源平桃の木も、花と共に新緑が目立つ様になり、赤と白の花の皆さんには、ご苦労さんと言いつつ花の盛りを感謝したのであった。花びらが落ちた後は、初々しい葉を鑑賞するようになっている。日本の国は季節の移ろいを常に喜ぶことができる。昔、小説家の川端康成さんがノーベル賞をいただき、受賞の際、講演をしたが、「美しい日本の四季」と題してお話しをしたと言うことである。私達はこの美しい自然の移ろいを神様のお恵みとして受け止めている。お恵みをいただいて歩む私達は、私の存在において「神様の喜びとなる」生き方をしたいと願っているのである。
神様のお喜びとして歩んだ一人の方を示されている。水野喜美さんと言う方が4月10日に召天された。告別式が14日の木曜日に横須賀小川町教会で行われたので列席する。81歳で召されたのである。水野喜美さんと出会うのは、1995年頃であり20年前になる。その頃、神奈川教区の中に、キリスト教シニアホームを建設する動きが始まる。私が神奈川教区宣教部宣教委員長の頃、提案したのである。神奈川教区の総会でも議論したが、最終的には有志の取り組みとなり、現在、秦野に「神の庭・サンフォーレ」を設立している。このキリスト教シニアホームは株式会社サンフォーレさんと提携して設立された。運営はサンフォーレさんであり、入居する皆さんの信仰を支えることが目的で、「支える会」を組織している。設立されてから15年を経ている。ここまでになる過程において水野喜美さんと共に奔走したのである。神奈川教区の中に「老人施設プロジェクト委員会」を立ち上げ、キリスト教シニアホームの調査・研究をしたのである。その中に水野喜美さんもおられたのである。当初は葉山の候補が上がり、何回も物件の場所にいっては、調査をしたのである。葉山の物件は見送ることになり、秦野の物件が候補となり、最終的に決められたのであった。そして、1998年10月に「神の庭・サンフォーレ」が開設されたのである。キリスト教シニアホーム「神の庭・サンフォーレ」を支える会の活動が始まったとき、水野さんは会計を担当し、募金活動等に奔走された。その後、年令が増し加わって、委員を退任された。退任されてからはお会いすることもなかったのであるが、この度の訃報をいただき、改めて、水野さんのお働きを示され、感謝しているのである。シニアのキリスト者が信仰を喜びつつ生活できる場のために働いたのである。
ところで、その「神の庭・サンフォーレ」を支える会として有志が活動しているのであるが、この年になってもその会の委員長を務めている。もはや支えられる立場であるが、この取り組みを立ち上げた者として責任を感じているので、今でも職務を担っているのである。秦野にある「神の庭・サンフォーレ」と「サンフォーレ戸塚」にキリスト者シニアホームの入居者の信仰生活を支えているのである。今は高齢者の施設がたくさん存立している。デイケアも盛んで、通りを歩けば、そのための送迎車を多く見かけている。その様な高齢者への取り組みが盛んになっているが、キリスト者のシニアホームは、他にはあまりない。三浦の地に「エデンの園」とか、新横浜に「カルデアの家」等がある。
若い頃は晩秋を好んでいた。逆に年齢を増してからは新緑の季節を喜ぶようになっている。やはり新緑に触れることで、なんか、体全体が励まされるようなのである。体をもっと動かして健康にならなければと、最近の散歩は両腕を大きく振って歩いていた。そしたら内臓筋が痛くなって、五十肩のように腕が上がらなくなってしまった。今は治まっているが、いつものように、普通に生活していればよいのである。新緑を鑑賞しながら、腕も大きく振ることなく、普通に歩きながら散歩するとしよう。まだ、「支える会」の務めを続けることも感謝しつつ…。



花の盛りが終わり、源平桃も新緑となりつつある。



水野喜美さんの祝福の人生を示される。



「神の庭・サンフォーレ」において、居住者の皆さんと礼拝。



秦野にある「神の庭・サンフォーレ」の佇まい。