鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

牧師・園長の休日

 今日は、幼稚園が土曜日に親子の集いを開催したので、振り替え休日となりました。お休みなのです、と言い、プライベートな予定を立てるかと言えば、そうではありません。まず、机の上に積み重ねられている未処理の書類の整理が頭をよぎります。また、しなければならないと思っていることが、今日はお休みとの思いと共に吹き上がってくるのです。結局、お休みの今日が終わろうとしていたとき、お休みが駆け足で逃げていく音を聞くのでした。でも、このお休みのお陰でいろいろと整理できたし、のんびりと過ごしたことはたしかでしょう。
 牧師の土曜日については前にも記しました。日曜日の準備で一日過ごさなければなりません。日曜日は教会の礼拝、諸集会で一日を費やします。従って、土曜・日曜は私のもっとも忙しい時でもあるのです。そして、月曜日を迎えると共に教会や幼稚園の職務をすることになります。すると、牧師・園長のお休みはいつなのでしょうか。振り替え休日は一つのお休みとなりますが、それも結局は何かの仕事をしてしまいます。お休みであり、自分の楽しみに没頭するようなことがあればよいのですが。もう随分と以前のことになってしまいますが、お休みには結構山登りを楽しみました。汗をかきつつの山登りは、良い休養ともなります。疲れも程よい快感となるのです。ところが、今は山登りにも見放されています。山登りができるようになる、今の職務からの解放のとき、そのときは体力もなく、周囲の人たちは老人の山登りの危険をこんこんと言い聞かせるでしょう。
 以上のように記すと牧師・園長は一年365日働いていることになります。そんなことはありません。それでも日常の業務の間を適当に気を抜いているのです。これも随分と昔のことですが、男の幼稚園教師がいました。今は横須賀上町教会牧師であり、同教会付属めぐみ幼稚園園長の森田裕明先生は、かつては当幼稚園の教諭でありました。その頃、ごく時たま、二人で近所の飲み屋さんに出かけ、いろいろな話をしたものです。翌日、主任さん(今ではありません)に、「園長先生、お飲みになるならどこか遠くで召し上がってください」ときついお言葉をいただきました。森田君と大きな声で話している姿を園児のお父さんが見たらしいのです。それからは仰せの通り、この界隈のお店には行かなくなりました。もっとも森田君が牧師になり、園長になって、教会・幼稚園から去って行った後には、外に出かける機会もなくなり、今では年齢的にも出かける意欲もなくなっています。時々、お誘いを受けるのですが、それとなくお断りをしています。悪いことではないのですが、どなたかに見られて、なんでもないことから大きな話題に発展しないとも限らないからです。
 こうして仙人みたいな生活と思われるような日々ですが、それでもこうして元気に生きているのですから、何かの秘密があるに違いありません。私は牧師ですから神さまを見上げることが何よりも平安である、と言うとしたらしらけてしまうのでしょうか。もし、どんな人間的な休息をしているのかと問われたら、それは否定しないでしょう。でも、それは、秘密にしておきましょう。
 さあ、新しい一週間を皆さんと共に元気に過ごしましょう。一つだけのアドバイス。一日の中で、一度でも良いです。天の神さまを仰ぎ見るために、実際に顔を天に向けましょう。きっと力がわいてくるでしょう。