鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

昨日を土台とした今日を生きて…

 梅雨時でありますが、今日は蒸し暑く、日が射さなくても暑い日でした。土曜日に幼稚園のお父さん達にお手伝いいただいてプールを設置しましたが、今日は早速プール開きとなりました。子ども達、体操の先生の指導の下に楽しく水遊びをしていました。いっそ、一緒にプール遊びをしたいと思うほどの蒸し暑さでした。
 プールは、今は組み立て式のものですが、ずっと昔は固定のプールを設置していました。今のブランコがある辺りにヤマハ製のプールが設置されていました。プールはほんのひとときです。設置してから随分と経過し、傷みも加わってきましたので撤去したのでした。その後、プールがないので水遊び等で暑い夏をすごしていましたが、組み立て式のプールを購入したのでした。年代的に記録を辿りませんが、プールについてはそんな歴史を持っています。
 小さい時から水に慣れ親しんでいると、泳ぐこともできるようになり、人生を楽しく過ごすことができるでしょう。私は育ったところは金沢八景・野島の近くであり、いつも海で遊んでいました。あさり堀や釣り、そして泳ぐ楽しみがありました。泳げるようになったのは小学生の3年生くらいかと思います。野島には運河があり、海に入って遊んでいるうちに、運河の深みにはまってしまい、そのときは泳げませんでしたので、それこそアップアップしたのです。今にも溺れてしまうのではないかと思ったとき、夢中に泳いでいたのでした。今まで泳げないと思っていのに、気がついたときには浅瀬に立っていたのでした。泳げないと思っていながらも、海で遊んでいたので、いつの間にか泳げるようになっていたのでした。いつも海の水につかって遊んでいなかったら、そのまま溺れていたでしょう。水になれ親しんでおくということは、危険なときに、いつの間にか対応ができるようになるのです。
 小さい頃に、泳げるようになり、今は海に泳ぎに行くことはありませんが、例えばプールのあるサウナ等に行ったときには、結構泳いで楽しみます。私の気を抜く秘密の一つかも知れません。死ぬほどの思いが自分の人生にあったということ、このことも今の自分を支えているような気がいたします。今、生かされているものとして、もしかして死んでいたかも知れない自分なのですから、生きている責任として、今担っているいろいろな職務を担っているのです。
 自分の人生、暗いことばかりと言う人がいます。つらいこと、嫌なこと、苦しいこと等が思い出されますが、しかし、今生きているとすれば、過去の人生は今を生きる支えとなっているのではないでしょうか。よく考えてみれば、あのこと、このことは決して無益ではなかったのです。昔のことばかり考える必要はありませんが、まず現在の自分を支えているのは昔からの歩みなのであり、神さまの導きと恵があるのです。「数えてみよ主の恵み、数えてみよ主の恵み」という歌があります。私はいつもこの歌を口ずさんでいます。特に行き詰まったときに、いつの間にか口ずさんでいるのでした。明日は今日を土台とした祝福の日でありましょう。