鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

小規模教会( 教会の世話をさせるために )

 
 今日は日曜日、神様を礼拝する日です。毎月、第一日曜日は横須賀上町教会の講壇が予定されています。午前9時30分からの教会学校、10時30分からの主日礼拝を担当しました。今日の礼拝出席は11名でした。そのうち私達の家族が5名です。6名の中、2名は客員であり、1名は幼稚園の先生であり、教会員の出席は3名と言うことになります。本当に小人数の教会ですが、創立は1906年であり、もはや100年を経ている教会です。教会種別としては第一種教会であり、宗教法人格を有する教会であるのです。幼稚園も1932年に設立されていますので、80年の歴史を歩んでいますが、幼稚園も小規模であり、運営も厳しいのですが、キリスト教主義幼稚園としての使命を担いつつ歩んでいるのです。昨年、9月まで18年間、教会と幼稚園を担ってきた森田裕明牧師が横浜本牧教会に転任したので、10月からは金子信一牧師(湯河原教会)が代務者に就任しています。幼稚園の園長に就任していますが、もともと湯河原教会の牧師ですから、第二主日の礼拝しか来ることができず、他は私のような無任所教師や他教会の副牧師が講壇を担当している状況であるのです。専任の牧師を招聘するには、生活の保障が無ければなりません。こちらの場合、幼稚園を運営していますが、小規模でもありますので、牧師・園長を支えることは困難でもあるのです。今後、どのように教会と幼稚園を担っていくのか、祈りつつ協議しているところなのです。
 小教会が牧師の生活を支えるために幼稚園を開設する場合があります。本来の幼児教育が目的ですが、教会は幼稚園に頼らざるを得ないのであります。地方の教会はそのような形態が多いのです。宮城県の陸前古川教会に在任の頃、同じ地区内の登米教会の牧師を要請されました。いわゆる兼牧になります。古川から登米まで車で1時間かかります。日曜日の午前は陸前古川教会で礼拝をささげ、午後からは登米教会の礼拝です。登米教会には幼稚園がありました。人口8千人の町には唯一の幼稚園であり、他に保育園がありました。町としては教会の幼稚園が頼りでありますが、宗教法人幼稚園でありましたので、公費を助成できないということなのです。それで、教会の宗教法人幼稚園を学校法人幼稚園にしてもらいたいとの要望があり、教会もその要望を受け止め、町側と共に学校法人幼稚園設立準備委員会を組織していました。その頃の登米教会は教会員10名であり、幼稚園があるので何とか牧師の生活を支えることができているのでした。そのような状況の中で、私が招聘されました。学校法人幼稚園設立準備委員会は、もう何年も前から協議していますが、少しも進展していなかったのです。学校法人幼稚園にするには土地・建物等整備しなければなりません。いろいろな計画を協議してきたようです。このままでは、いつまで経っても新園舎はできないと判断した私は、町側と協議して学校法人幼稚園を設立するのではなく、主体は教会であることを教会の皆さんに説得しました。そして、設立準備委員会を解散することにしたのです。わずか10名の教会員であり、しかもほとんどが60歳を超えている人達なのです。教会だけで何ができるか、と思われたかもしれません。教会の計画において、教会が維持されることを盛り込んだ建築計画を作りました。古川の教会員に建築、木材関係の人がおられ、早速お願いして建築したのでした。10名の皆さんではありませんでした。歴代母の会長が立ち上がり、町中を回り募金活動を下くださったのでした。教会の全国募金もあり、町も学校法人準備金として助成してくれることになりました。建築落成式には、かつて設立準備委員であった方が、「我々は直球を投げ続けていたが、鈴木牧師・園長はカーブを投げた。ストライクであった。心からお祝いする」と言われたのでした。
 登米教会は今も教会員が10名もいません。しかし、学校法人幼稚園があることで、牧師を支えているのです。横須賀上町教会を覚え、祈り続けてまいりましょう。
<聖書の言葉>
聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。
使徒言行録20章28節)