鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

交流会( 神の家族として )

 
 書斎の戸棚を開け締めしては、物を出し入れしていますが、その度に思い出の聖書と讃美歌を見ることになります。聖書も讃美歌も在日大韓基督教会が発行したものです。韓日対照「聖書」(改訳改訂版/新共同訳)の聖書が二冊あります。一冊はクロス装の表紙であり、もう一冊は箱入りで革表紙の聖書でした。クロス装のものは私が購入したものですが、革表紙のものは贈られた聖書でした。日本基督教団は在日大韓基督教会と宣教協約を結んでおり、毎年両教会の役員が宣教協議会を開催しています。2000年に在日大韓基督教会が聖書を発行しましたが、その後、宣教協議会をしている日本基督教団の議長、副議長、書記等に贈呈してくださったのでありました。讃美歌は「韓日讃頌歌」として2002年に第六版を発行されました。在日大韓基督教会は日本基督教団の諸教会も用いてほしいと要望されました。その時、私は10冊ほど購入し、何人かの皆さんに差し上げています。私が在日大韓基督教会発行の聖書を購入したのは、神奈川教区で在日大韓基督教会の皆さんと交流会を開催していたからなのです。その神奈川教区の在日大韓基督教会との交流会について経過を報告しておきましょう。
1998年10月26日〜28日、第1回在日大韓基督教会と日本基督教団との宣教協議会が箱根で開催されました。この会により学習と課題が示され、神奈川県にある在日大韓基督教会と日本基督教団神奈川教区の交流が始められることになったのでした。しかし、だからと言って交流会をすぐに始めたのではありません。交流会を始めるにあたり、まず準備委員の学習が必要でありました。約2年間の学習を行い、交流会の開催となったのでした。
 神奈川教区は一県一教区であり、その当時107の教会・伝道所がありました。この神奈川県には三つの在日大韓基督教会があり、それぞれの教会は地域的に神奈川教区内の教会と交流、交わりが進められていました。すなわち在日大韓基督教会川崎教会は日本基督教団桜本教会とのお交わりがありましたし、在日大韓基督教会横浜教会は神奈川教区横浜地区と毎年合同礼拝が導かれています。さらに在日大韓基督教会横須賀教会は神奈川教区東湘南地区の教会との交わりが持たれていました。このように地域的に交流が進められていましたが、神奈川教区が在日大韓基督教会三教会と交流を持ったのは、過去一回の集いだけでした。それは1994年の宣教協約10周年を迎えた時でした。在日大韓基督教会三教会と日本基督教団神奈川教区が記念の合同礼拝をささげたのです。そのような経緯を持ちながら交流会を立ち上げたのでした。
第1回交流会は2001年7月8日、日本基督教団清水ヶ丘教会を会場に、主題「和解と協力をめざして」として開催。参加者は在日大韓基督教会が27名、神奈川教区が84名、合計111名でした。第2回交流会は2002年5月26日〜27日、平塚のグランドホテルを会場に開催。二日目は現地研修として大磯高来神社を見学し、学習しています。参加者は在日大韓基督教会が20名、神奈川教区が65名、合計85名でした。第3回交流会は2003年5月25日〜26日、横浜カトリックセンターを会場に開催。主題「共生と平和を求めて」。参加者は在日大韓基督教会が30名、神奈川教区が61名、合計91名でした。第4回交流会は2004 年7月19日、日本基督教団清水ヶ丘教会を会場に開催。主題「共に生きる」(ナショナリズムを越えて)。参加者は在日大韓基督教会が20名、神奈川教区が77名、合計97名。第5回交流会は2005年7月18日、日本基督教団清水ヶ丘教会を会場に、主題「さらなる和解を求めて」と題して開催。参加者は在日大韓基督教会が19名、神奈川教区が70名、合計89名でした。
 以上、5回の交流会を担い、開催しましたが、その後はそれぞれの事情が重なり、今は開催されていません。開催しなくなりましたが、在日の皆さんと共に生きる主題は、今も与えられているのです。神様が私にその使命を与え、在日の皆さんとの交流を導かれたのであります。
<聖書の言葉>
あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエスであります。
(エフェソの信徒への手紙2章19節)