鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

理事長退任のセレモニー( 真理の言葉を伝えつつ )

 
 今日は大塚平安学園の理事会です。この学園がドレーパー記念幼稚園を運営しています。そのドレーパー記念幼稚園の園長として30年間6ヶ月務めましたが、3月を持って退任しました。後任の佐竹和平園長が職務を立派に果たしていることは喜ばしい限りです。園長の職務は退任したものの理事長の職務は続いていました。というのは、学校法人大塚平安学園の理事長は、大塚平安教会の牧師が務めることになっているからであります。3月で大塚平安教会の牧師を退任しましたが、後任の牧師が就任するのは10月からであり、事務的なことも関連して、後任牧師が就任するまでは担うことになったのです。本日の理事会で理事を退任し、合わせて理事長も退任することになります。そのような内容の理事会でありました。
 今まで大塚平安教会の牧師であり、大塚平安学園の理事長であり、ドレーパー記念幼稚園の園長であったこと、第三者的に考えれば、あり得ないことであります。まかり間違えば独裁的な存在になると言うことです。これには事情があったからです。ドレーパー記念幼稚園はもともと宗教法人大塚平安教会附属幼稚園でした。しかし、幼稚園としての存在を強める意味でも、1977年に学校法人に移行したのであります。設置主体を移行するにあたり、教会は今後の幼稚園の存立のために、大事を取りました。他の事例として、教会の幼稚園が学校法人に移行することにより、教会から離れていき、幼稚園が独自に歩むようになってしまったということです。牧師が幼稚園を、自分の思いのままにしてしまったという悪い例がいくつかあるのです。大塚平安教会はそういうことにならないように幼稚園と教会とで合意事項を交わしたのです。すなわち、大塚平安教会の牧師は学校法人大塚平安学園の理事長になること、ドレーパー記念幼稚園の園長を担うことであります。1979年に大塚平安教会の牧師に就任しますが、自動的に理事長、園長にも就任したのであります。理事会、評議員会も多数が教会員であり、しっかりと幼稚園を支えているのです。
 この取り組みは、確かに教会の幼稚園として大切でありますが、牧師は幼児教育の専門家ではなく、無理があることは確かであります。負担が幼稚園の主任や教職員に及ぶことは確かであります。その為、数年前より合意事項の見直しを始めました。それは、そろそろ私自身が退任を視野に入れていたので、今後の取り組みを示されていたのであります。教会の皆さんも、牧師と園長の兼任については、見直すことを考えておられる方もありました。それにより、理事長は大塚平安教会の牧師が務めることにして、園長は必ずしも牧師ではない人に就任してもらうことにしたのであります。
 理事会の終わりに当たり、長年にわたり理事長を務めた感謝の時が持たれました。美しい高価なガラスの花瓶を贈呈されました。連れ合いのスミさんにはきれいな花束が贈られました。感謝状を用意しなかったというので、感謝状は自分で作ると申し上げ、一同苦笑したのでありました。今日まで多くの方々が理事、評議員を担い、退任するときには感謝状を差し上げていました。それを用意するのは理事長の務めであり、パソコンにはそのデータがぎっしりと入っているのです。自分ながら過分の賛辞を込めた感謝状を作りましょうか。
 皆さんに送られて幼稚園の門を出るとき、しみじみと職務が終了した安堵の思いが募りました。牧師、園長を退任しつつも、理事長の職務があり、今までも幼稚園に出入りしていましたが、ようやく解放されたということです。
 ドレーパー記念幼稚園は主イエス・キリストのお心をいただきつつ、実践し、祈りつつ歩む幼稚園です。地の塩・世の光として社会の希望であり続けるでしょう。幼稚園の上に、教職員の上に、子供たちの上に、幼稚園を支える大塚平安教会の上に主の祝福が豊かにありますよう。
<聖書の言葉>
あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。
(テモテへの手紙<二>2章15節)