鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

安全祈願式( 岩を土台としつつ )

 
 本日は「つぼみ保育園」の乳児棟改築工事の安全祈願式の司式を務めました。社会福祉法人唐池学園つぼみ保育園は1967年5月に設立されました。地域における保育園として、社会の希望として存立していることは存じていました。毎週金曜日の朝、さがみ野ホームの礼拝に出かけますが、このつぼみ保育園の前を通って行くのです。さがみ野ホームとはすぐ近くにあります。このつぼみ保育園を唐池学園が運営していることは存じていましたが、機会もなく、30年間、一度も中に入ることはありませんでした。この度、乳児棟を改築するにあたり、起工式をするので、司式をしてもらえないかと打診されました。唐池学園の理事長とは、やはり30年も大塚平安教会の牧師でしたから、いろいろな機会にお会いし、お話をしていました。私としては、もはや何も不都合がないのでお引き受けしたのであります。
当初は起工式ということでありましたが、あまり儀式的なことをせず、鍬入れ式等も行わず、ただ安全祈願の式とすることにしたのです。式には関係者約20人の皆さんが、キリスト教の安全祈願式に列席されたのでした。讃美歌を歌い、聖書を読み、式辞を申し上げ、安全祈願をささげたのでした。保育園の園児の皆さんも、傍らに座り、讃美歌312番「いつくしみ深き」を大きな声で歌っていました。この日のために練習したと言われます。「大きな声で歌ってくれてありがとう」と式中でありますが、園児の皆さん述べました。
 唐池学園は創立の精神はキリスト教にあるようですが、保育園にしても他の施設にしても、特にキリスト教を掲げている訳ではありません。しかし、根底にあるものは、やはり神様のお心であると示されました。その意味で、乳児棟の改築にあたり、神様の御心が示されたことは、意味深いのではないでしょうか。安全祈願式では以下のような式辞を述べたのであります。
式辞
私たちは、つぼみ保育園が綾瀬市深谷に存立し、今日に至るまで社会の希望として、使命を果たしてきたことを、まず神様に感謝しなければなりません。人間の思いは利権が優先致しますが、神様の思いは人間が、どんな存在も喜びつつ生きることであります。その為、神様はそれぞれの人々に神様の御心を示し、思いと力を結集させて事業に当たらしめるのであります。もともと「つぼみ保育園」としてこのところに建てられたのも神様の御心なのであります。そして、この度、乳児棟を新しく建築する業をも導いておられるのです。この建築工事は神様の御心であり、社会の希望であります。聖書は「岩の上に建てられた家」についての教えをしております。家は土台を据えて、その堅固な土台の上に建てられてこそ、決して倒壊しないのです。しかし、土台を据えることなく、例えば砂の上に建てるとすれば、すぐに倒壊してしまうでしょう。岩の上に建てられた家は堅固であり、雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても倒壊しないのであります。この教えは家をたとえての教えでありますが、人間の生き方を教えているのであります。人間も堅固な土台が必要なのであります。堅固な土台の上に生きる者は、社会の荒波にも屈せず、力強く生きることを示しているのであります。その堅固な土台とは何か。それが神様のお心なのです。「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」との教えに生きることです。人間が共に生きること、その姿勢が堅固な土台の生き方なのであります。神様のお心を持たないと、人間は利権が優先され、人間の一人の存在をないがしろにすることになるのであります。私たちは今日、神様の土台を示され、この建築工事におきましても、工事を計画した者、工事に関わる者、それぞれが土台を与えられているのです。その土台の上に、神様と社会の人々に喜ばれる建て物を完成することをお祈りのであります。
<聖書の言葉>
わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台にしているからである。
(マタイによる福音書7章24節)