鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

写し人知らずの写真( イエス様の言葉を思い出しつつ )

 今日は写真の印刷をしました。デジカメで写した写真や、CDに焼いていただいた写真等を焼き増しして皆さんに差し上げたいから、その作業をするように連れ合いのスミさんから求められ、他の仕事があるからと嫌がっていたのですが、やはり早く焼き増しして、皆さんに差し上げる必要があり、ようやく取りかかりました。100枚も印刷したのでしょうか。それにしても、今は写真の焼き増しということが自分でできるので、便利な時代になりました。昔はフィルムで写し、写真屋さんにもっていき、2、3日してから取りに行くという状況でした。今は写した写真は即座に印刷できるので、早すぎるとも思うのです。
 ドレーパー記念幼稚園に30年前に就任した時、入園式や卒業式の集合写真は近くの写真屋さんにお願いしていました。幼稚園の卒業生のお父さんになります。毎年、この写真屋さんにお願いしています。個人で写した写真も、いつもそこでお願いしていました。そのため、その写真屋さんにはいつも出入りしていたのです。ところが、デジカメが普及し、パソコンで印刷するようになると、その写真屋さんへは行く機会少なくなりました。ほとんど行かなくなってしまったのです。時々、道端で写真屋さんに出会うと、お願いしなくなったことをお詫びするのでした。写真屋さんも、笑いながら、今の時代ですからといわれるのでした。しかし、卒業写真も入園写真も、デジカメで取り、幼稚園で印刷できるのですが、その後も写真屋さんにお願いしていたのです。
 ドレーパー記念幼稚園の職員室、園長室、玄関ホールにはいろいろな集合写真を掲示しています。年長組の一泊保育記念写真が多いのですが、その他にも全園児の集合写真を掲示しています。集合写真を掲示するようになったのは、一枚の写真からであります。集合写真には写した年月日を記していますが、ある写真の年月日から2、3年の後に毎年の一泊保育の集合写真が掲げられているのです。空白の期間は写さなかったのかと聞かれました。写したでしょうが、掲げてないということです。それで、ある写真のことですが、この写真は「写し人知らず」の写真なのです。一泊保育で足柄ふれあいの村で泊まり、ハイキングは丸太の森や最乗寺の境内を散策することでした。お昼のお弁当は適当な広場がないので、最乗寺の石段に腰掛けて食べたのです。ひな壇に座るような形になります。不思議な光景ですが、他に場所がないので、一同前向きに座って食べていました。そしたら、女性の観光客がぱちりと写真を写したのです。それで、幼稚園の住所を教えてくださいと言われるので、私の名刺を渡したのでした。数日後に引き伸ばしされた写真が送られてきました。「無断で写してしまい、申し訳ありませんでした。園児さん達が石段に座ってお弁当食べている様子は、とても可愛らしかったので、ついカメラを向けてしまいました」としたためてありました。しかし、送ってくださった方のお名前は記してありませんでした。その写真を記念にして掲げました。その時に思い立てばよいのに、数年後に記念写真を掲げることにしたのです。「写し人知らず」の写真は、見る毎にその時の状況が思い出され、懐かしさを味わうのです。幼稚園に掲げている集合写真は「写し人知らず」さんの写真が発端であるということです。「写し人知らず」さんには、改めて御礼を申し上げます。
 「写し人知らず」と言っていますが、写真というのは、後になればみな「写し人知らず」になってしまいます。写真は思い出深く、見る毎に思い出がよみがえってきますが、この写真は誰が写したのかということまでは思いも及びません。写真だけが残って行くのです。写真を見るとき、写してくれた人への思いも込められるべきなのです。写真展などは写した人の思いが伝わってくるのですが。その意味でも、今日は写した人を思いつつ焼き増しをしたのでした。この写真、本当に良い写真だなあと思いつつ、写された方の思いや人柄が思われるのです。
<聖書の言葉>
そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、11人と他の人皆に一部始終を知らせた。
ルカによる福音書24章8節)