鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

散髪屋さんにて( 白髪の長老の前では起立し )

  
 床屋さんに行きました。4月にこちらに転居し、何処の床屋さんに行くか、迷っていました。二度ほど六浦駅前にある床屋さんに行きましたが、別の床屋さんを捜していたのです。実は比較的近くに昔からの床屋さんがあります。子どもの頃から青年の頃まで、その床屋さんに行っていました。いわゆる初代の床屋さんでした。面倒見が良く、親切にしてくれたと思います。昔は銭湯が近くにあり、銭湯でひげを剃っていると、その床屋さんも来ており、ひげを剃ってくれたりしたのでした。こちらに転居してから、その床屋さんに行こうと思いましたが、もう初代の人ではないようで、なんとなく入る気にもならなかったのです。今日、出かけたところは、そんなに遠いところではなく、思い切って入って見たのです。既に先客があり、しばらくお待ちくださいと言われ、待つこと1時間でしょうか。待っている間、置いてある「金沢・六浦の歴史」という本があり、興味深く読むことができました。金沢八景の謂われや、三艘の歴史も記していました。昔は、この辺を三艘と称したのです。このところ金沢八景にちなんだところを散策しているので参考になりました。今度来たときにも読むことにしようと思いました。
 ようやく刈っていただくことになり、興味もあって、ここでお店を開いたことなどを聞いたのです。いろいろお話をしていると、こちらの床屋さんは地の人で、昔のことや地理のこと等を良く知っている方でした。それで話が弾んで、懐かしい思いをしながら散髪をしていただいたのです。綾瀬にいる頃、床屋さんはすぐ近くにあり、いつもその床屋さんに通っていました。話し好きの人で、大きな声で、しかも耳元で話すので、私の方からは話をしないようにしていました。ほとんど話をしないで仕上げてもらったこともあります。従って、今日の床屋さんで、私の方から話をするのは、自分ながら驚いています。
 昔、宮城の教会に在任していたころ、教会の隣が床屋さんでした。その床屋さんは履物を脱いで入ります。この床屋さんも話し好きで、散髪中はずっとお話をしています。子供たちがまだ小さい頃で、ピアノの練習をいつもしていたのです。夏は窓を開けたままで練習していましたから、幼稚園の園庭を挟んでの距離でしたが、ピアノの音が良く聞こえていたようです。いつも上手に弾いていますね、と言われたりします。ベートーベンの曲なんでしょうかといわれたりするのでした。思わず苦笑してしまうのですが。散髪が終わると、お茶を入れてくれました。お新香やお菓子を勧められ、またひとしきりお話がはずむのです。ある時、散髪中に連れ合いのスミさんが営業の人を連れてきました。子どもの百科事典の営業で、スミさんは子供たちのためにぜひ揃えたいと言うのです。散髪中で断るわけにもいかず、結局購入することになったのです。子供たちの勉強の助けにはなったようです。
 スミさんは美容師の資格を持っており、私が床屋さんに行くと言うと、しげしげと私の頭を見つめ、何処を刈るの、刈るほど髪が伸びてないというのです。自分がしてあげると言うので、何回か刈ってもらったことがありますが、もちろん悪くはないのですが、やはり散髪屋さんで刈っていただいた方が良いと、ひそかに思うのでした。本当に、刈る髪も薄くなり、床屋さんに行かなくても良くなるでしょう。
 聖書には、白髪の長老の前では、尊敬をあらわし起立しなさいと教えています。長老は長い人生で神様のお心を多く示されており、長老から神様のお心を学びなさいと教えているのです。その意味では、白髪の人たちは誇りがあるでしょう。しかし、面白くないのは、髪の薄い人についての言及です。いわゆる禿げている場合、それが禿げなのか病気なのか、良く見極めなさいと示しているのです。白髪は良い意味で示されますが、禿げている場合、病気との関連で示されるのですから、薄れゆく髪のことを思い、聖書の指摘を面白くなく思っているのです。これは旧約聖書の古代の考え方なのである、と割り切っているのですが。
<聖書の言葉>
白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。
レビ記19章32節)