鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<455>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<455>
2018年1月12日「新しい歩みを喜びつつ」



聖書の言葉
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
新約聖書・ローマの信徒への手紙6章4節)



しばらく執筆を休んでいたが、ようやく書いておくことにした。昨年の10月から横浜本牧教会付属早苗幼稚園の園長を担っているが、二度目の冬を迎えている。わずか一年間であるが、いろいろな取り組みが許され、一つ一つ形あるものになっていることを喜んでいる。12月はクリスマスであり、子供たちがイエス様のお生まれになったページェントを演じつつお祝いできたこと、祝福のクリスマスであった。その12月20日にはバルセロナにいる羊子家族が一時帰国することになった。昨年の7月から8月にかけて羊子と義也が一時帰国したが、この年末年始に再び帰国することになり、今度はイグナシオさんと義也と三人で帰国したのである。年末年始には故郷に帰り、孫を祖父母と合わせることは日本の風習にもなっているが、羊子たちも帰国してくれて、願ってもないお正月を迎えたのであった。昨年7月に帰国したときには、浅田真央さん等のアイスショーでピアノの共演をすることになり、大阪や名古屋に一週間は出向いている。他にもコンサートがあり、友人と会うやらで、家にいることも多くはなかった。しかし、今回は1月6日の深沢教会におけるニューイヤーコンサートに臨む以外は予定がなく、家で過ごすことが多かった。彼が古美術に興味を持っているので、1月4日には鎌倉国宝館に出かけたのであった。鎌倉は混雑するので、早めに車で出掛ける。それは正解であった。早めであったので駐車場はすいていたのである。しかし、帰る頃はどこの駐車場もふさがっており、駐車場を探す車が気の毒であった。
鎌倉と言えば八幡宮の参拝であるが、お正月の初詣には驚くほどの人々であった。一度に参拝すると危険であるので、ある程度の人々が階段を上ると人数制限で止められる。その列が若宮小路へと続いているのである。境内の横には池があるが、その池にもカモやカモメで混雑している。餌を与えるものなら、競い合って食べる。ここは恰好の場所であるのだろう。人も鳥たちもいっぱいの鎌倉であり、普段は大勢の人々には接しないので、改めて人間が多いことを知るのであった。かつてバルセロナに滞在したとき、ランブラス通りの人の多さ、年末年始や顕現祭の人波、そして独立を訴える日等の人の群れに驚いたのであるが、日本もそれ以上の混雑ぶりである。
孫の義也は昨年の2月12日に生まれており、1月10日にバルセロナに戻って行ったのであるが、もはや11ヶ月になっている。まだ歩くことはないが、伝え歩きはしているし、間もなく独り立ちをするであろう。今回はもっぱらサークルの中に入れていたが、次回は家中を歩き回るのではないかと思っている。7月に帰国したとは、抱っこするのも楽であったが、今回はずっしりと重く、長い時間抱いていることはできないのである。子供の成長は早く、あっと言う間に大きくなるだろう。その分、我々夫婦が年を重ねていくのである。
連れ合いのスミさんは2010年3月に大塚平安教会を退任し、引越しのときに脚立から落下して腰を打ち、以来腰を痛めながらの生活が続いている。そして、最近は歩行も困難になり、横になることが多い。これでは老化が進むので、デイサービスに通うことになった。私が幼稚園の職務で月水金の三日間は出かけるので、月と水の二日間デイサービスを利用するようになる。そして、1月11日からはデイサービスではないが、NPO法人のデイサービスに木と金に出かけるようになる。火曜日と土曜日、そして日曜日は家にいて過ごすことにしている。人と接しながら過ごすことで、スミさんも喜んでいる。バルセロナの羊子や義也とは画面で対面できるし、ラインで送られて来る写真を見ては喜んでいるのである。新しい年と共に新しい生活様式になり、この一年も希望をもって歩みたいと思っているのである。



1月6日、深沢教会におけるニューイヤーコンサート



おばあちゃんに抱っこされて。



12月21日、羊子の誕生会。今年は日本でお祝い。



一人遊びをする。