鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<453>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<453>
2017年10月31日「祝福の歩みへと導かれ」



聖書の言葉
ヤコブは、ヨセフを祝福して言った。「わたしの先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神よ。わたしの生涯を今日まで導かれた牧者なる神よ。どうか、この子供たちの上に祝福をお与えください。」
旧約聖書・創世記48章15-16節)



早いもので10月31日を迎え、もう一年が経ってしまったとの思いである。一年が経ったというのは、昨年の10月から横浜本牧教会付属早苗幼稚園の園長を担うようになったからである。横浜本牧教会は前任者が9月で退任したので、当面の間は代務者を置くことにした。同教会は牧師が幼稚園の園長を兼任していたのであるが、代務者に就任した牧師は、他の大切な職務を担っているので幼稚園までは担えないといわれる。それで教会は、2010年4月から9月まで横浜本牧教会の代務者および幼稚園の園長を担った私に、園長の務めを依頼されたのである。久しぶりに園長に復帰し、月に一度であるが教会の説教も担当させていただいている。それから早くも一年が経ってしまったのである。教会は新しい牧師、園長の就任を願って招聘委員会で協議しているのである。新しい歩みが祝福されるようお祈りしているところである。
ところで本日の10月31日は宗教改革記念日である。中世の16世紀に新しい祝福の歩みを求めて宗教改革運動を展開したのは、一人マルチン・ルターだけではなく、ヨーロッパのそれぞれの地でのろしが挙げられたのである。しかし、やはり最初に当時のカトリック教会に、信仰のもち方について問題点を投じたのはマルチン・ルターなのである。今年は、丁度500年になり、それぞれの場で宗教改革500年の意義を確認し、お祝いされているのである。その宗教改革によってプロテスタント教会が成立し、今日、私たちの信仰になっているのだから、やはり宗教改革を喜びとしなければならないのである。何にしても、発展することにより、本来の姿が変わってくるのである。カトリックという普遍的なキリスト教であったにしても、時代とともに信仰のもち方が変化してくる、人間的に思いが重く支配するようになるからである。当時の教会は大教会を建設するための資金が必要であり、そのために「免罪符」なるものを売ることになる。そのお札を買えばどんな罪でも許されるということであれば、人々は喜んで買ったのであった。そういう信仰のもち方に問題提起をしたのがマルチン・ルターであったのである。
祝福の歩みへと導かれるために、自分達の存在を主張すること、それは自然の成り行きなのである。スペインのカタルーニャ州の人々が独立を求めて、その存在をアピールしたこと、理解できるような気がする。2012年に娘の羊子がバルセロナに滞在しているので夫婦で訪れ滞在した。ちょうど9月11日を迎え、独立を叫ぶ日でもあった。150万人もの人々が一堂に会したのであった。カタルーニャはスペインにありながら、カタラン語も併用している。カトリック教会はカタラン語でミサをささげているのである。今回は、一応独立を叫ぶ声は治まったようであるが、カタルーニャの人々は祝福の歩みを常に持ち続けるであろう。
祝福の歩みを祈るので、日本では七五三の習慣があるが、どこの国も子供たちの祝福の歩みを祈っているのである。カトリック教会は生後間もない子供に幼児洗礼を授けることになっている。娘の羊子の子供、義也君にも幼児洗礼を授けてもらった。去る10月15日である。生後八ヶ月になっている。当日は多くの知人が出席し、お祝いしてくれたという。幼児洗礼は祝福の成長となるよう、両親の祈りの出発点でもある。義也君の両親は、実は幼児洗礼を牧師である私に求めたのであった。ちょうど7月末から8月末まで羊子と義也君が一時帰国していたときである。六浦谷間の集会として洗礼式がおこなわれた。日本基督教団の場合、洗礼式は教会の業である。教会の名において洗礼式を執行し、教会の小児会員に登録されるのである。六浦谷間の集会の名において幼児洗礼を授けても、集会は日本基督教団には登録されていない。従って、日本基督教団の一員にはならない。私的な洗礼式となるのであるが、プロテスタントの洗礼も受けているということになる。やがて、本人の祝福の歩みとなることを祈っているのである。  
担っている幼稚園の子供たちをいつも見つめている。祝福の成長が導かれるよう、いつもイエス様のお心を示しているのである。



カトリック教会で幼児洗礼を受ける義也君。



幼児洗礼の喜びを証しする両親。



六浦谷間の家の礼拝にて幼児洗礼を受ける。