鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<349>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<349>
2015年7月8日「出会いの場は正座して」


聖書の言葉
家の主人にこう言いなさい。「先生が、『弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか』とあなたに言っています』。すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備しておきなさい」。二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
ルカによる福音書22章11-13節)


1979年9月に大塚平安教会牧師、ドレーパー記念幼稚園園長に就任する。幼稚園においては、はっきり言えば、あまり経験がないままに就任したのである。最初の教会、青山教会では宗教法人立である幼稚園を運営していたが、その幼稚園には全く関わらなかったのである。そして4年後に宮城県の教会に赴任する。招聘の段階で、今までの牧師は40年間在職していたが、幼稚園の園長をも担っていたので、当然、職務を継承すると思っていた。ところが最終的には、園長は教会員が担うことになったのである。この様な展開になったので、就任についてはしばらく保留にしたのである。しかし、折角、大変な職務は教会員が担うと言ってくれているので、その条件で就任することにしたのである。「牧師先生には牧会に専念していただきたい」ということでもある。そうは言っても、幼稚園に全く関わらないのではない。何よりも幼稚園の設置者であり、宗教主任としての立場もある。そしてその後、通園バスを走らせることになり、牧師が運転手になるのだから、矛盾なんて考えてはいられない。6年半務めたが、最後の一年間は、教会から車で1時間も離れている他の教会の兼人牧師にも就任する。その教会は幼稚園があり、兼任牧師と共に園長にも就任するのである。ドレーパー記念幼稚園に就任したとき、設置者としての経験があったとしても、園長としては1年の経験しかなかったのである。神奈川県私学宗教課の担当者も、園長の経験がないにしても設置者の経験で園長就任を認めてくれたのである。
ドレーパー記念幼稚園に就任したとき、園長としては何も分らない状況である。当時の主任先生も同意してくれたので、なるべくいくつかの幼稚園を見学することであった。見学の日は先生の研修日ということで休園とする。先生たちも一緒に他園を見学したということである。記憶にある限り二園は見学したと思う。そこで学んだことは、幼稚園は楽しい場でなければならないということであった。その見学で得た取り組みが「滑り台付き階段」である。そして、「歌唱指導」も見学の成果である。ある幼稚園の園長のお連れ合いが声楽家であり、子供たちの歌唱指導を担当していたのである。園児たちも楽しそうに指導されていたのである。歌唱指導の取り組みはスムーズに進む。何しろ、その頃、大塚平安教会には音大の卒業生が複数いたのである。それから、もう一つ刺激されたことは図書室であった。園児たちが楽しそうに本を選んでいる。本と遊んでいると言うべきか。この取り組みも大きな課題となったのである。
園長に就任した頃、図書室なるものは、あるにはあった。今の園舎の「ひよこ組」の教室は、階段が設置されていたのである。その頃は三歳児を受け入れていなかったのである。そしてその部分の奥に狭い職員室があった。1980年には園舎の全面的改築を行い、二階の教室から木造平屋にぬける「滑り台付き階段」を設置したので、園舎の端にあった階段を撤去し、職員室を広くする。そして、職員室を出たベランダ部分を囲って図書室にしたのである。図書室にしたもののあまり利用されなかったと思う。本との出会いの場がないからである。これは、見学した幼稚園のように、本当の図書室が必要だと思うようになる。そして、1984年には今も佇んでいる「図書館」が完成したのである。夢のある、楽しい空間、その様な図書館になったのである。図書館の中にいるだけでも心が安らぐ、本との出会いが与えられる場になったのである。
図書館は何よりも子供たちの夢の空間である。しかし、教室以外に活動の場がないお母さんたちにとって、これは嬉しい場となる。図書館ができると同時に「お話しの会」や「手芸の会」等が次々に発足する。父母の会役員会の場でもあるし、いろいろなサークル活動の場にもなる。聖書に親しむ会は前任の園長時代から行われていた。もっぱら教会の集会室で行われていたのである。他のお母さんたちの活動も、何かと教会の集会室で行われている。図書館は毎日、何かの会が使用するようになっている。図書館を利用する限り、正座する必要がある。床には絨毯が敷いてあり、基本的には絨毯に座るのである。聖書に親しむ会でも、正座してお話しをする。随分と足がしびれたものである。時には、この図書館に泊まる人もいる。ひと頃、幼稚園を建て替える計画を「ドレーパーだより」に掲載した。そしたら、懐かしい建物が無くなるというので、名古屋からお別れに来た卒業生がいた。その日は土曜日であり、図書館に泊まり、翌日の大塚平安教会の礼拝に出席し、しばらくは建て替えないことを知って、安心して帰って行ったのであった。大塚平安教会の教会学校がサマーキャンプを郊外に出かけないで幼稚園を会場に開催することがある。その時には図書館が宿泊の場でもあった。
今ではドレーパー記念幼稚園の佇まいの一部になっている図書館を、いろいろな出会いを導いてくれた存在として感謝している。もう30年も経つんだなあ…。



1984年に建設された図書館。



なんとなく絵になる風景となる。
欅の木は、今の半分くらいかも。



道路から見る図書館。夢の館の様でもある。
図書館の右側は木造平屋建てをホールにした際、
湯沸し室として造った。



1985年に発足した後援会の最初の役員さん達。
図書館の内部がわかるので、この写真を使わせていただく。
中央に模造のマントルピースがある。
楽しい本がいっぱいあり、子供たちの夢の空間となる。
ステンドグラスは聖誕、クリスマスである。
この役員さん達が中心となり、幼稚園の25周年を準備されたのである。