鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<348>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<348>
2015年7月6日「基本姿勢は変わらずに」


聖書の言葉
主人は僕に言った。「急いで町の広場や路地に出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい」。やがて、僕が、「ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります」と言うと、主人は言った。「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れてきて、この家をいっぱいにしてくれ」。
ルカによる福音書14章21-23節)


隠退牧師が暇に任せて昔の写真を整理している、と前回のブログで報告した。家族の写真を整理することが主たる目的であるが、アルバム等に整理していない写真が実に多い。結婚前まではそれなりに整理していたようである。しかし、神学校卒業と同時に結婚し、教会の伝道師、副牧師の務めに着くようになると、なかなか写真の整理ができなかったようである。それでも、どこの親も、最初の子どもの成長記録としての写真はしきりと写すものである。ところが、二番目、三番目となると、やはり最初の子供ほどにはカメラを向けない事実となる。二番目の子供から、赤ちゃんの時代の写真が少ないと言われる。そんなはずがないと言いながらも、アルバムにはあまり残されてはいない事実を認めている。今回、写真の整理をしているのも、「そんなはずがない」ことを証明するためなのである。段ボールから、二番目の子供の赤ちゃんの時代の写真がいくつか出てきたので、ほっとしたわけである。しかしやはり、最初の子供ほどには写真の記録がないことは確かなのである。二番目、三番目の子供たちが成長する頃は、親としても職務的に忙しくなり、子供たちと共に過ごす時間が少なくなっていくからである。最初の青山教会時代に羊子と星子が生まれ、次の陸前古川教会時代に百合子が生まれている。そして、その頃になると教会を始め、教区の委員活動、登米教会の兼務牧師としての務めが加わり、多忙を極めるようになるのである。それでも家族の写真は結構残されているので、それらの写真の整理を行っているのである。
家族の写真を整理するうちにも、やはり教会や幼稚園の歩みにおける写真も、山ほどあるので、この整理も必要なのである。懐かしく写真を見つめるのは、教会の交わり、ポトラックの会食である。今は幼稚園の二階にあるホールに集まっては会食を行っている。クリスマス等、皆さんで一緒に会食をする場合、皆さんの持ち寄りで行うのである。この日は皆さんが腕を振るってお料理を持参してくれるので、本当に楽しみである。このポトラックの会食は、私が1979年に就任する以前から行われていたのである。ということは最初にポトラックの食事に与るのは1979年12月のクリスマス祝会であり、幼稚園の平屋建て旧ホールで行われたのである。この旧ホールは1993年に増改築が行われたので、懐かしいホールはなくなるのであるが、私の就任以来13年間、幼稚園はもちろんであるが、教会活動も行われていたのである。
この木造平屋建てホールは、ホールが目的ではなく教室であった。中央を仕切って二つの教室にしていたのである。仕切りをとればホールになるが、それはクリスマスや卒業式の時であり、通常は教室のままである。何しろ私が就任した1979年の頃は園児数が180名も受け入れていた。四歳児、五歳児それぞれ三クラスずつであり。一クラス30名もいたから驚きである。しかし、私が就任した頃から園児が減少したのである。だから、翌年にはホールを改築する。今までは三歳児は受け入れていなかった。教室がないこともある。それで木造平屋建てのホールの一部に仕切りを入れ、三歳児の教室としたのである。もはや四歳児も五歳児も三クラスにする必要はなくなる。イベントがあれば仕切りを外してホールにしたのである。この改築時にホールの教会側に階段を設置する。その階段には滑り台を設置したので、楽しい遊び場にもなる。それまでの階段部分はトイレ兼通路でもあった。だから増改築が行われるまで、約10年は改築されたホールを使用していたのである。1989年に大塚平安教会が改修工事を行ったので、それまでヤマハ音楽教室が教会の礼拝堂で行われていたが、幼稚園のホールで行うようになったのである。音楽教室の練習用のオルガンは、講壇横の小部屋に収納していた。ところが教会の改修で聖壇横の小部屋が無くなったので、幼稚園ホールを使うようになったのである。練習用のオルガンは小さいが10代もあると収納場所に苦労する。そこで使わないときは道路側に寄せ、大きなカーテンで見えなくしていたのである。このヤマハ音楽教室も、1993年の増改築の頃には閉鎖していた。オルガンはそれぞれもらわれて行った。今もホールに置かれているピアノは、そのヤマハ音楽教室の先生のものであり、譲り受けたのであった。そのグランドピアノを増改築にあたり二階に移動する作業が忘れられない。大工さんたちが汗を流しつつ、改築と同時に設置した滑り台付き階段を運び上げたのであった。
木造平屋建てのホールには、いろいろな思い出がある。何よりも幼稚園のホールなので、入園式、卒業式、そしてホール遊びの思い出がある。教会の祝会の食事、ポトラックの写真が残されているだけでも、懐かしさが残るのである。建物が変化していくが、教会にしても幼稚園にしても、基本姿勢は変わらない。ホールに集まる皆さんは、お交わりの喜びに満ちているのである。



幼稚園は1993年に増改築を行ったが、増改築前の佇まい。
右側は木造平屋建てである。



木造平屋建ては教室として使用していたが、
イベントがあれば仕切りを外してホールにする。
幼稚園のページェントが行われている。
聖歌隊が33人もいる。



教会もこのホールで祝会を行なう。左の正面は仕切りである。
仕切りの向こうは三歳児教室。右の正面は設置した滑り台付き階段。



ホール正面のカーテンの向こう側にはオルガンが置かれている。
教会はこの頃より外国人と積極的にお交わりをしていた。
祝会ではお交わりしている外国人の踊りが披露されている。