鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<347>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<347>
2015年7月3日「置いては取り去り」


聖書の言葉
一体、どこの国が神々を取り替えたことがあろうか。しかも、神々でないものと。ところが、わが民はおのが栄光を、助けにもならぬものと取り替えた。生ける水の源であるわたしを捨てて、無用の水溜を掘った。水のためることのできない、こわれた水溜を。
エレミヤ書2章11-13節)


2010年3月まで、30年6ヶ月間、務めた大塚平安教会を退任したが、この度、新会堂が与えられ、去る6月28日、その献堂式に出席した。当日の主日礼拝説教にも招かれている。久しぶりに大塚平安教会、ドレーパー記念幼稚園の敷地で一日中過ごすことになる。そのためいくつかのことを示されて前回のブログに記しておいた。いつまでも昔を懐かしんで書くのは辞めよう、と前回のブログの終わりに記している。昔の事どもを書くのは、もう一つの理由がある。実は、このところ今までの写真を整理しているのである。今日までの写真は、ある程度写真集にまとめているが、しかし、多くの写真が段ボールの中に入れたままである。この際、整理しておく必要がある。整理するうちにも、多くの場合、家族や人々の集いの写真であるが、中には大塚平安教会やドレーパー記念幼稚園の建物や構築物の写真も掘り出されて来る。これは貴重な資料であると示され、改めてファイルしているのである。特に幼稚園の構築物の推移については、当事者である私しか書けないので、資料はこれも段ボールから取り出すようなので、年月日は不明として、思い出として記しておくことにする。
1979年9月に大塚平安教会牧師、ドレーパー記念幼稚園園長に就任する。その頃、9月でも暑い日が続いていた。そのため幼稚園では夏休み明けのプール遊びが行われていたのである。それまで宮城県の教会、幼稚園に勤めていたが、9月にプール遊びなんて考えられないことであった。プール遊びは園長が率先して水に入り、子どもたちを指導していたのである。慣れないこともあり、就任したばかりで、プール遊びを指導したのか覚えはない。就任したばかりなので免除してもらったのかもしれない。その後、数年はプール遊びが続いたと思う。プール遊びは今でも折りたたみ式のプールで続いている。当時は固定に設置されたプールがあったのである。今は、門を入ると左側にブランコが設置されているが、その辺りにヤマハのプールが設置されていた。プール遊びは6月下旬から夏休みに入るまで、そして夏休み明けの9月に入ってから二週間くらいは行われていた。しかし、プール遊びのない季節は、子どもたちの遊び場にもなる。しかし、水のないプールで遊ぶのは危険でもあるし、プール自体もいたんで行くのである。その為、固定プールは撤去したのであった。その後は花壇にしたりしていたが、今はブランコが設置されているのである。黄色いプールは幼稚園の一つの風景であった。プールは撤去してしまったが、その後は折りたたみ式のプールを設置するようになっている。使わないときは折りたたんで収納できるので便利でもある。組み立てたり、折りたたんだり、その作業は大変であるが、保護者の皆さんも手伝ってくださるようになり、教師と保護者の良いふれあいにもなっている。
プールが幼稚園の風景であったとすれば、プールと入れ替わるようにして設置されたのがアスレチックである。それまで園庭には昇り棒の遊具があり、結構楽しまれていた。それを撤去してアスレチックを設置したのである。これはかなり大きなアスレチックで、図面の段階で、危険ではないかとの危惧を持つ。しかし、これくらい高いアスレチックは子どもたちも注意するので事故は起きないと遊具会社は断言するのである。設置後、子供たちは危険と思われるようなアスレチックで楽しく遊んでいたようである。保育中の事故はなかった。しかし、保育後は幾つかの習い事教室に保育室を貸しているが、その教室の生徒、小学生がアスレチックの上から転落したことがある。大事に至らなかったが、習い事教室の先生に監督するよう注意したものである。その後、このアスレチックは造りなおしている。それが現在のアスレチックである。園庭の隅の方に設置されており、欅の木に設置されているアスレチックではない。これについては以前のブログで報告している。二代目のアスレチックは今までのものの半分くらいに収めている。そして、その時に設置したのがポールである。ポールと言っても旗を立てるためではない。運動会で鈴割りを行うが、綱を結ぶこと、さらに夕涼み会で提灯の綱を結ぶことのためである。当初は鯉のぼりもこのポールで泳がせてもいる。ポールを立てる前はアスレチックに結んでいた。二代目のアスレチックは綱を結べなくなったのでポールを立てることになったのである。
それからもう一つ書き加えておく。現在も図書館の横にミニハウスが建てられている。このミニハウスは人気があり、子供たちも出たり入ったりしているが、屋根まで上るようになった。そこで教会員の渡辺魁さんが、屋根にいくつかの横木を設置してくれた。これによって子供たちも自由に屋根に登り、滑ることが無くなったのである。もともとミニハウスは遊具会社の既製の物を設置していた。それをアスレチックの横に置くことにより、連動して楽しむようになったのである。しかし、年月と共にミニハウスが使えなくなったので、同じような大きさで大工さんに作ってもらったのである。手直しをしながらも今でも楽しまれているのである。
構築物ではないが、旧平屋建て時代のホールのこと、図書館のこと等、思い出の一端を書き留めておきたいのであるが…。



固定プールが設置されており、楽しく水遊びをしていた。



幼稚園の門を入り、左手に固定プールが設置されていた。
モデルさんには申し訳ないけど。プールの紹介のために。
背後の郵便局は平屋の時代でした。



このような登り棒の遊具があった。



登り棒を撤去して、アスレチックを設置し、ミニハウスを置く。