鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<284>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<284>
2014年9月15日「敬老会のお誘い」


聖書の言葉
白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。わたしは主である。
レビ記19章32節)



 今日、9月15日は「敬老の日」である。今はハッピーマンデーで、敬老の日が必ずしも9月15日ではない。ハッピーマンデーは、「敬老の日」の場合は第三月曜日に設定されている。日曜日と月曜日を続けてお休みにするためなのである。今年はたまたま9月15日であるが、昨年の敬老の日は9月16日であり、来年の2015年は9月21日である。もう敬老の日は9月15日とは関係がなくなっているのである。長年の間、9月15日の「敬老の日」を覚えつつ過ごしてきたので、残念な思いである。ハッピーマンデーは2003年に国民の祝日法で決められている。「体育の日」は今まで10月10日であったのに、ハッピーマンデーにより第二月曜日になる。今年は10月13日になっている。連休にして国民の喜びを増すと言われるが、連休よりもその日の意義の方が大切ではないかと思う。
 「敬老の日」が国民の祝日になるのは、1964年(昭和39年)頃である。この「敬老の日」の始まりは1947年(昭和22年)に兵庫県多可郡野間谷村、現在の多可町八千代区の村長と助役さんが「としよりの日」を定めたことが始まりである。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりをしよう」ということで、農閑期の9月15日に定め、老人を敬う行事をするようになったということである。そして、「こどもの日」や「成人の日」があるのだから「敬老の日」を定めるように政府に働きかけ、国民の祝日になったということである。この兵庫県の八千代町では小・中学生が年長者に向けて、日々の感謝と敬意を表して手紙を書くこと、それが夏休みの宿題になっているということである。良い取り組みであると思う。
 国民の祝日としての「敬老の日」を定めているのは日本だけのようである。しかし、外国では不文律ながら老人を敬うことが社会習慣になっているようである。老人からいろいろと教えてもらうこと、これは当然考えられることであるが、もともとは聖書の教えでもある。高齢者を敬い、高齢者の知恵をいただいて人生の指針とすること、聖書が繰り返し教えているのである。高齢者は人生の良い指針を持っている。それは長い人生に神様の御心を示されて生きて来たからである。体験的にも御心がしみこんでいるのである。そういう意味で聖書は高齢者を大切にしなさい、敬いなさいと教えているのである。
 敬老の日が近づいたとき、町内会の回覧板があり、70歳以上の人は記名してくださいということであった。そして敬老会の案内書が添付されていた。出席して敬老される気持ちは持たないし、その日は日曜日でもあるので、欠席にしておいた。しかし、我々夫婦は70歳以上なので、敬老会には欠席でも記名しておいたのである。昨日は横須賀上町教会の礼拝であり、説教と聖餐式を担当する。我が家の子ども達、星子や百合子、そして友達の弥生さんも共に出席して帰ってきたのである。自宅に帰り、駐車場で車を降りたりしている時、隣家の方が、敬老会のお祝いの品物をお届けくださった。欠席としておいたが、70歳以上として記名しておいたのでお祝いの品物が届けられたのである。敬老のお祝いとして品物をいただくことになるが、なんか複雑な思いでいただいたのであった。
2010年4月から六浦の家に住むようになっている。だからその年の敬老調査もあったと思う。今まではその様な回覧板が回されてきても記名していなかったのである。今年は近所の人が数名、記名しているので、お付き合いの意味で記名しておいたのである。年齢を隠すつもりはなかったのであるが。車には高齢者マークをつけるようになっているし、近所の皆さんもわかってはいるであろう。敬老会のお祝いを手にしながら、両親のことが思い出されていた。母は90歳、父は97歳まで生きたが、思い出す限り敬老会との関わりがある。父は機械技術者として町工場で定年になるまで働いていた。遊びもなく、何の趣味もなく、仕事が休みであれば農作業に明け暮れていた。その父が定年退職をすると、町内の老人会に関わるようになり、民謡を歌い、旅行に明け暮れ、それはそれは楽しく過ごすようになったのである。そして9月15日の「敬老の日」は毎年のことながら晴れ舞台であったのである。父は97歳の4月に亡くなるが、3ヶ月くらいの入院であり、入院するまで元気に過ごしていた。だから96歳の敬老の日にも町内のお祝いの会には出席していたのではないかと思う。他にもおられたであろうが高齢者として皆さんからお祝いされることが何よりの喜びであったようである。
高齢者としてお祝いされること、もうその年齢になっているのであるが、少しずつ喜びになっていくのであろうか…。



75歳の誕生日に、子ども達から贈られたプレゼントを喜んでいる。



誕生会と共に「母の日」の感謝会でスミさんもプレゼントを喜んでいる。
まだ74歳であるが…。