鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<439>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<439>
2017年5月18日「年を重ねながら…」



聖書の言葉
エスは答えて言われた。「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年を取った者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」イエスはお答えになった。「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」
ヨハネによる福音書3章3-5節)



5月はゴールデンウィークというお休みがあり、人々の喜びになっていることは言うまでもない。ところでこの5月は私にとって、もう一つの意味がある。それは5月10日が私の誕生日だからである。もう78歳にもなってしまった。今までの人生を振り返って、いろいろなことがあったが、今は78年間を生きて来られたことを感謝している。10日といえば、毎年、5月の第二日曜日の前後になる。その日は「母の日」であり、我が家の子供たちは父の誕生日と母への感謝と、一緒にお祝いするのが常となっている。両親を一緒にお祝いしてくれるのであるから、私達夫婦もありがたいことである。昨年は77歳、喜寿を迎えた。連れ合いのスミさんの誕生日は9月であるが、そこで77歳になるのであるが、母の日を迎えたとき、私達夫婦の喜寿のお祝いをしてくれたのである。喜寿のお祝いでは、サプライズが計画されており、驚くやら嬉しいやらが重なる。喜寿のお祝いのために、今まで関わった教会の皆さんにお祝いの言葉を記していただいたのである。ずっしりと重いファイル、お祝いのメッセージ集を手にして、我が家の子供たちばかりではなく、いろいろな皆さんからお祝いされたことを感謝しているのである。
誕生日を子供たちにお祝いされたことを喜んでいるが、教会からお祝いのカードをいただき、知人からはお花を贈られる。誠にありがたいことである。14日に幼稚園に出勤する。午後になって打ち合わせがあるから職員室に来ていただきたいと主任さんから言われる。職員室の扉を開けた瞬間にハッピーバースデイが歌われる。打ち合わせではなく、お祝いであったのである。この年になって、皆さんからお祝いされること、誠に喜びでもある。毎年、子供たちを始め、皆さんからお祝いされること、感謝にたえない。2013年5月に迎えた誕生日はマレーシア・クアラルンプールに滞在していた。そこにある日本人教会のボランティア牧師として三ヶ月間赴いたのである。その日は、日中に牧師館で集会があったので、こちらで誕生日ケーキを用意して、出席された皆さんにお祝いをしてもらったのである。そして、その日の夕食は連れ合いのスミさんと二人でお祝いしたのである。2011年5月の誕生日はスペイン・バルセロナに滞在中であり、娘の羊子がひそかにセットしてくれた。当日は羊子のお友達が多く集まり、食事をしたのであるが、その後は誕生会に変わり、皆さんからお祝いされ、喜んだのであった。
毎年、誕生会を迎えてはプレゼントを受ける。長い人生で、不足しているものはないので、プレゼントはいらないよ、とは言っているのであるが、子供たちはそれなりに考えてくれる。今年は散歩用の帽子、ペンケース等、それなりに現代的なものなので、ありがたく納めたのであった。私の父が存命中の頃、父の誕生日には私達の家族からのプレゼントを用意する。父は9月の誕生なので、これから寒くなるので、それなりの衣服を用意したのであった。ところが父はプレゼントを喜びつつも、衣類であれば、袖を通すのでもなく、そのままタンスしまっておくのである。子供たちからの贈り物は、ありがたくて使えないのである。親の気持ちなのであろう。そんな思いであるので、私はなるべく贈り物は身に着けている。子供たちがそれぞれ贈物をしてくれて、たまたま室内用の衣類が重なったことがある。そんな時には順次衣替えを行うのであった。忙しい衣装替えである。
お祝いを喜び感謝している。そういう中で、今年は、この歳になって孫が与えられたこと、大きな喜びでもある。スペイン在住の羊子が2月に男の子を出産したのである。すぐにも行ってお祝いしたかったが、職務上において行かれない。それで羊子の方から7月に、一時帰国してくれることになった。孫との対面を心待ちにしている夫婦である。
今年も節目の時を迎え、さあ、もうひと踏ん張りするか、気合を入れたのであるが…。



子供たちが、父の誕生日祝いと母の日感謝を一緒にしてくれる。



2011年、バルセロナ滞在中に皆さんからお祝いされる。72歳の誕生日。



2013年、マレーシア・クアラルンプール滞在中、夫婦で誕生会。74歳の誕生日。



もはや生後三ヶ月になる孫の義也君。