鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <131>


隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<131>
2012年8月13日 「導きの源流を探りつつ①」 


聖書の言葉
あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです。
(テモテへの手紙<一>4章12-14節)



 出身教会である清水ヶ丘教会から要請があり、9月30日に教会創立65周年記念礼拝をささげるので、その日の説教をお願いしたいと言うことである。私が同教会にいた頃からの友達であり、今も教会を担っておられる方からの電話である。9月になってからスペインに赴くことになっているので、その時はお断りしたのであった。その後、6月30日に神奈川教区総会が清水ヶ丘教会を会場に開催されたので、もはや准議員の身分であるが、三人の知り合いが准允を受けるので、お祝いする必要があり出席する。そこで清水ヶ丘教会の島田勝彦牧師や電話を下さった友達とお会いすることになる。9月30日でなくても、ご都合のよい日で良いのですと言われると、スペインへの出発は9月10日なので、9月2日と9日の日曜日がある。しかし、第二日曜日は横須賀上町教会の礼拝説教、聖餐式を担当することになっているので、自ずと9月2日なら可能と答えざるを得なくなる。そこで決まってしまったというわけである。
 清水ヶ丘教会は今年で創立65周年になり、「清水ヶ丘教会源流を知る」プロジェクトを発足させ、今までの教会の歴史や先達たちの思いを知り、これからの教会のあり方を教会全体で考えたい、との趣旨をいただく。昔を知る出身の牧師が少なくなっているので私に白羽の矢が立てられたのであるが、他にも昔を知る伝道者はいる。一応、趣旨に合う牧師でもあるのでお受けしたのであるが、改めて昔の若い頃の教会生活に思いを馳せるとき、中学・高校生時代・青年の23歳頃までが私の清水ヶ丘教会時代であるので、源流をお話するほどのことはないと思うのであるが。それで昔のアルバムを紐解き、それも引っ越しして以来、ダンボールの中に詰め込んだままであり、ようやく捜し出したのであった。それらを見ながら、私の清水ヶ丘教会時代を振り返ることにする。説教の下準備のつもりである。
 私が清水ヶ丘教会に出席するようになるのは中学生になってからである。小学生の頃は関東学院教会の日曜学校に通っていた。そのいきさつについては、これまでも紹介しているので、今回は割愛しておく。日曜学校はほとんどが関東学院小学科の生徒であり、彼らと交わる内に私も関東学院中学科に入ろうと思うようになるのである。改めて、その頃のアルバムを紐解いて、日曜学校時代はただ礼拝に出席していたのではなく、いろいろな行事に参加していた記録が残されている。クリスマスの劇に出演したことは今までも記していると思う。5年生の時に日曜学校の修養会に出席している。宿泊し、海水浴で楽しむ写真が残されている。また、野外散策で金澤文庫に出掛けた写真も残されている。こうして日曜学校で友達と交わりが深められ、自分も関東学院の中学校に入りたくなるのである。親はその願いを受け入れてくれて、それからは小学校の先生が進学指導をしてくれるのである。こうして受験したのであるが、残念ながら不合格であった。その時の挫折感は今でも覚えている。しかし、今、大きな神様のご計画として思うならば、この不合格があったからこそ牧師への道が開かれて来るのである。もし合格していれば、おそらく関東学院の高校、大学へと進んで行っただろう。そして、バプテスト教会の中で生きることになったかもしれないのである。




関東学院教会日曜学校修養会の時の海水浴。
小学校5年生の時。前列、左の浮き輪を手にしている子供。


小学校6年生の時。日曜学校の野外散策で金澤文庫へ。
二列目左、学生服を着ている子供。




 不合格となったので、もはや恥ずかしくて日曜学校には行かれなかった。それで二人の姉たちが出席している清水ヶ丘教会に、私もまた出席するようになるのである。小学生時代も何回か姉に連れられて出席したことがある。長姉である美喜子さんの弟さん、次姉である清子さんの弟さんと言うことで、皆さんから声をかけていただいたものである。当初は毎週の礼拝に出席していたわけではない。礼拝に出席しても、中学生になったばかりで、よくわからなかったと思う。友達もいないし、礼拝が終わればすぐに帰って来ていた。教会学校の中学科に出席することを勧められるが、なんとなく気持ちが動かなかったようである。中学2年生頃になったとき、高校生の集い「ぶどうの会」のメンバーが中学生である私を誘ってくれたのである。教会学校にも出席しない私を、救済してくれたわけである。それまで、教会に行っても、美喜子さんの弟さんで呼ばれる以外には親しく交わりのできる人がいなかったのである。結局、私は「ぶどうの会」には5年間も所属することになるが、このぶどうの会時代が、私の信仰が固められる時であり、伝道者への召命が与えられることになったのである。