鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <130>


隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<130>
2012年8月8日 「働き手が少ないので」 


聖書の言葉
エスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱りはて、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」。
(マタイによる福音書9章35-38節)



 8月5日は六浦谷間の集会の礼拝をささげる。第一日曜日なので聖餐式を行う。子供達も出席したので4名の出席であった。この六浦谷間の集会における礼拝は、以後しばらくはお休みになる。次週8月12日は横須賀上町教会の礼拝に招かれており、説教と聖餐式を担当する。こちらは毎月第二日曜日に担当することになっている。第三日曜日は三崎教会の礼拝に招かれており説教を担当する。7月から月一回、礼拝説教を担当することになった。こちらの教会は長年牧会した生野隆彦牧師が数年前に退任し、新しく若い牧師を招聘したのであるが、今年の3月に辞任する。それで退任した生野牧師が代務者として関わり、説教は幾人かの牧師が担当するようになった。そのため私もお招きを受け、講壇に立たせていただいている。第四日曜日の26日は横浜本牧教会の講壇に招かれている。2010年4月から9月までの半年間、代務者として同教会の責任を持ち、毎週の講壇に立っていた。今は森田裕明牧師が牧会しているが、牧師の夏休みということでお招きをいただいたのである。そして、9月2日は出身の清水ヶ丘教会の講壇に立つ。同教会は今年9月に創立65周年を迎えており、次代の継承ということで、昔を知る牧師を招き、記念の時としている。次の9月9日は横須賀上町教会である。そして、翌日の9月10日から11月6日まで、再びスペイン・バルセロナに赴く。11月に帰国しても11月11日は第二日曜日で横須賀上町教会であり、第三日曜日の11月18日は三崎教会の講壇に立つことになっている。そうなると六浦谷間の集会の礼拝は11月25日までお休みとなるのである。




7月29日に三崎教会に招かれる。
礼拝後、出身の清水ヶ丘教会時代の方とお会いし、旧交を温める。



 六浦谷間の集会の礼拝がお休みになると週報が発行できない。広く配布している訳ではないが、小さな群れの週報を楽しみにされておられる方には申し訳ないと思う。ささやかな私の働きの紹介や報告等がしばらくお休みになることは、私自身も残念と思っている。それにしても隠退牧師になっても、いろいろな教会のお招きをいただき感謝に絶えない。隠退牧師になっても御言葉に向かう姿勢はどなたも変わらない。かといって、教会の実務をするとなると重くなるのである。小規模な教会はどうしても牧師が実務を担当することになり、いくつかの教会から招聘をいただいたのであるが、辞退したのであった。現役の牧者に求められることは、「教え、勧め、導き、戒め」であるが、実務もまた牧者の務めなのである。42年間、現役牧師として務めてきたが、もはや機敏に動けない身の程を感じ隠退したのであった。しかし、御言葉に向かう姿勢は変わらないので、日曜日の礼拝説教の準備は続けられているのである。
 隠退の身分で良いから、三ヶ月ほど教会の牧会をしてほしいとの要請があった。日本基督教団の世界宣教委員会の宣教幹事から電話をいただく。マレーシアのクアランプールにある日本人教会の牧会をしていただきたいとのことであった。三ヶ月という期間はパスポートで行かれるので、ビザを取得する必要はない。その教会は三ヶ月ずつ、隠退牧師を招き、教会を担っているということである。礼拝出席は20名位ということであるが、10000人の日本人が住んでいるという。セカンドライフでマレーシアに渡る日本人が多いとか。電話をいただいたとき、秋にも行っていただきたいということであったが、スペイン行きを決めており、お断りしたのであった。夕食の時、連れ合いのスミさんにそのことを話すと、「行ってきたら」というのである。このような機会はこの先になって与えられないと言うのである。スミさんの勧めもあって、一度は断ったがお応えすることにしたのである。世界宣教幹事と話し合い、来年の春頃に行くことにしたのであった。
 もはやブログに書くことが無いので、つまらないと思っていたのであるが、また新しい分野でブログが書けそうである。まだ、先のことであるが。