鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <129>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<129>
2012年8月4日 「見聞きしていることを」 


聖書の言葉
ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たち送って、尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」。イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」。
(マタイによる福音書11章2-6節)



 日本点字図書館から、過日わずかばかりの寄付金を送ったので、その領収証と感謝のお手紙が送られてきた。今回で53回目の寄付金であり、永い間のお支えを感謝しますとの内容である。日本点字図書館との関わりについて、2006年9月9日のブログに記している。だからそれを参照してくださいと言っても、もう六年も前のブログから検索するのは困難であると思い、今回はこのブログに添付することにした。今回、記すとしても同じような内容になるからである。しかし、記す「思い」が異なると思う。2006年に記したのは大塚平安教会在任中であり、今は日本点字図書館に関わりを持つようになった六浦の家にありながら書くのである。青年の頃、20歳頃であろう。日本点字図書館の点字習得通信講座を受講することになった。送られた教材で、机の上で点字の練習をしていたのである。その机を六浦に住むようになって、再び書斎で使用しているのである。だから、大塚平安教会時代に点字習得時代に思いを馳せるのと、六浦の家で思いを馳せるのとでは、全く異なるのである。青年時代は色々な分野に心を向けていた。山に登ること、絵を描くこと、文章を書くこと、電気技師の資格を取ること等、落ち着きが無いようであるが、とにかく自分の進路を決めようとしていたのである。その中には牧師への道も示されていた。この道に関しては、両親が反対していたので、保留になっている状況なのであった。姉たちの両親への説得もあって、牧師の道が開かれることになり、青年時代の彷徨が一本になって行くのである。青年時代の彷徨は、その後の牧師の歩みの中で、いろいろと生かされていることを示されるのである。日本点字図書館との出会いも然りである。それでは、久しぶりに昔のブログを読むことにしよう。



2006年9月9日  聖なる働きへの献金(日本点字図書館との関わり)
日本点字図書館から領収証が送られてきました。過日、献金を送ったからです。点字によるお礼状が添えられていました。「このたびもお心にこもるご寄付をたまわり、感謝に耐えません。しかも、47回にもおよぶ長期のご支援、美喜子さまから引き継がれてのご協力とのこと、ただただありがたくお礼の言葉も見つかりません。とうといご厚志は新しい図書を待ち望む全国の大勢の読者の期待にそえるよう有効に大切に使わせていただきます。」と記されていました。点字にふりがながつけられているから読めるのです。ここで、私の寄付金をわざわざ皆さんにお知らせするのは、もちろん自分の行為を褒めそやかしているのではありません。ここでは鈴木家と日本点字図書館のつながりを記しておきたいのです。既にいくつかの場で記してもいます。
本来、私は点字の読み書きはできるはずなのですができません。私が20歳頃からと思います。何かの縁で日本点字図書館を知りました。そして、その図書館が点字の通信教育をしていたので、私も習うことにしました。ところがなかなか修了にまで至りませんでした。そうこうしているうちに23歳のときに神学校に入る事になりました。そこで点字の習得は中断してしまいました。点字図書館からはいろいろなお知らせと共に寄付金の依頼等も来ていました。神学校に入ったとき、寄付金については両親に託したのです。その後、両親が毎年の寄付金依頼に応えて、いくばくかを送金していたことについては、姉の美喜子が召天したときに知ったのでした。姉が召天した後に点字図書館から寄付の依頼が姉宛に来ていました。それで、姉の召天を記しながら、今後は姉に代わって献金させていただく旨を記し献金したのでした。姉は1997年に召天しましたので、その年に献金したのです。すると点字図書館から領収証と共に礼状が送られてきました。図書館の理事長・本間一夫さんが点字で記していました。「当点字図書館には1959年にご両親様のお名前でご寄付くださったのが始まりで、その後、姉上様が引き継いでくださり、そして弟様が引き継いで下さり、このたびで40回目です」と記されていました。私は、その時初めて知ったのです、若いときに寄付金を両親に託したことが、その後続けられていたことを。姉の後をついで毎年献金させていただいており、今回で47回目であるといわれます。約半世紀にわたって点字図書館を家族が覚えさせていただいていることに私自身が感動しているのです。両親は息子から依頼されましたが、むしろ自分達の意思として献金していたのでした。両親が召天して姉が、姉が召天して弟が献金を受け継ぎました。それぞれ遺言でもなく、申し送りでもなかったのです。神様のお導きという他はありません。
ところで、さらに驚くことがこの日本点字図書館で待っていました。点字図書館の理事長・本間一夫さんが2003年8月1日に召天されたことを知り、その年に発行された「ドレーパーだより」(�・17)の巻頭言に、本間さんを紹介しながら鈴木家と点字図書館とのかかわりを記しました。発行されてからまもなく一人の幼稚園卒業生からお便りをいただきました。その卒業生が、なんとその日本点字図書館に勤務されていたのです。それで連絡を取り会うことになりました。日本点字図書館は東京の高田馬場駅近くにあります。実は、私は教団の事務局に月に一、二度行っており、西早稲田にあるので高田馬場駅はいつも乗り降りしていたのでした。久しぶりに卒業生とお会いし、不思議な絆を喜び合ったのでした。ぜひ点字図書館にお寄り頂きたいと誘われたのですが、教団の会議を前にしてお会いしたので、残念ながら失礼したのでした。その後、彼女は中国に留学すると聞いていましたが、消息をいただいてないので、今はどのようにされているのでしょう。
私が献金できなくなったら、私の子ども達が引き受けてくれることを願っています。もっとも、私の両親から姉に、姉から私に引き継がれたとき、申し送りはなかったのですから、私が子ども達へ申し送る必要はないでしょう。神様のお導きがあると思っています。
聖書の言葉
「聖なる者たちのための募金については、あなたがたも実行しなさい。」
(コリントの信徒への手紙16章1節)