鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <114>


隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<114>
2012年6月22日 「良いものを大事にし」
 

聖書の言葉
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。「霊」の火を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。
(テサロニケの信徒への手紙<一>5章16-22節)



 6月19日は秦野にある「神の庭・サンフォーレ」の礼拝を担当し、その後開催された「支える会」の総会に臨むために出掛けたことについては、前回のブログに記している。総会が終わり、居住者の皆さんとしばしお交わりをし、その後帰路につく。帰路というより綾瀬に向かったのである。大塚平安教会時代に深い関わりが導かれた笠倉昭子さんを訪問するためである。笠倉さんはご子息を弱冠21歳で天に送ることで、導かれてキリスト者になられた。今から30年前のことである。ご子息の正道さんは召天する一ヶ月前に、父上の祐一郎さんと共に横浜市立大学病院の病室で洗礼を受けたのである。1982年5月のことである。そして7月1日に召天された。母上の昭子さんはその年の12月、クリスマス礼拝で受洗される。以後、笠倉ご夫妻は大塚平安教会の教会員として信仰の歩みが導かれ、皆さんとのお交わりが深められて歩まれる。その後、昭子さんには脳梗塞を患い、車椅子の不自由な生活になるが、お連れ合いの祐一郎さんの介護もあり、お二人で元気に生活されていたのである。ところが、その祐一郎さんは2005年2月14日に77歳で召天される。以後、笠倉昭子さんはお一人で生活するようになる。車椅子の生活であり、大塚平安教会の皆さんもお訪ねしては支援するようになる。ヘルパーさんにも介助をお願いしていた。高齢者の施設である道志会にも短期入所をくり返していた。その道志会の隣に高齢者ホームが建設され、そこを永住の住まいとして移られたのである。今年の4月に入居したばかりである。
 笠倉正道さんや父上の祐一郎さんの証については、今までもこのブログで紹介しているので、今回は簡単な紹介にとどめている。「神の庭・サンフォーレ」の帰りにお寄りすることについては、既に連れ合いのスミさんが笠倉さんに連絡していた。そのため、笠倉さんには待ち焦がれていたようである。高齢者ホームの受付に記帳していると、担当の人が、「先ほどからお待ちですよ」と言われる。案内されて二階の居室に行くと入口におられ、手を振って迎えてくれた。玄関の様子については二階のロビーから見える。だから、私達が入って来たときも、記帳しているときも、受けつけの人と話しているときも二階のロビーから見ていたのである。笠倉さんとは何かとお会いしているので、積もる話があるわけではない。しかし、笠倉さんは私達夫婦を特別な存在として受け止めているのである。正道さんとの出会いから始まるのであるが、鈴木家がいつも笠倉さんご夫妻とお交わりをしていたのである。我が家の三人の子ども達も、いつも笠倉さん夫妻とお交わりをしていた。昭子さんは我が家の家族旅行に同道してもいる。
 綾瀬の大上の家におられたとき、私達夫婦がお訪ねし、三番目の百合子もお訪ねしていた。ご近所の人もおられたが、帰られるときに言われた言葉が忘れられない。「本当に、正道さんは良いものを残してくれましたね。こうして教会の皆さんが、いつもお訪ねしてくれるので、さびしくはないですよね」と言われたのであった。正道さんが教会に導かれ、そして両親も導かれ、昭子さんが一人になっても、しかも車椅子の生活になっても、教会の皆さんがお訪ねくださる、こんなにうれしいことはない、というわけである。笠倉さんも、そのことについては神様のお導きとして示されているが、鈴木家との出会いを喜んでいるのである。
 「こんどは、いつ来るの」と連れ合いのスミさんに尋ねている声を聞きながら、部屋を出て帰路についたのである。新しい家で、皆さんとの良い交わりを導かれながら、祝福の日々であるようお祈りしている。