信仰に生きる人々( 一人で生きているとしても )
昨日は綾瀬に行き、職務を済ませてからは一人の方を訪問して帰りました。その方は笠倉昭子さんであります。4月以来、金曜日にはホームの礼拝があり、綾瀬に行ますので、帰りがけには笠倉さんを訪問していました。ホームの礼拝がなくなれば、綾瀬に来ることもなくなるので、笠倉さんは寂しさを訴えていました。わざわざ来て欲しいというのです。私は寄れないことがありましたが、連れ合いのスミさんがお寄りしてはいろいろとお話をするのでした。
笠倉さんとは特別なお交わりを導かれています。1979年に大塚平安教会に就任しますが、数年後にご子息の正道君と出会うことになります。正道君はドレーパー記念幼稚園の卒業生であり、大学受験の浪人中でした。教会には出席していませんでしたが、牧師を訪ねてはお話に来るようになったのです。それは秋頃と思います。そして、翌年の春には大学に合格しました。しかし、大学合格を喜ぶのも束の間に腰の腫瘍が見つかり、下半身麻痺となってしまいました。当初は腰痛で整形病院に入院したのですが、腰痛は腫瘍であり、当初の誤診が手遅れらになり、横浜市立大学病院に運ばれましたが、遅かったのです。しかし、彼は車椅子で生活する設計を立て、いろいろなことに挑戦しようとしていました。横浜市立大学病院に入院する彼を、私は毎週木曜日の午後にお訪ねしていました。聖書を読み。それについて話し合い、お祈りして帰ってくるのです。しかし、腫瘍は他にも転移しており、病状が進行していくなかで、お父さんが彼を励まし、病院で洗礼を受けたのです。受洗後、一ヶ月で天に召されて行きました。彼の証しは多くの人々に感銘を与えています。召天後一周年で、彼の遺稿集「主よ、みもとに」を発行しています。お父さんは病院で彼と共に受洗しました。そしてお母さんの昭子さんは彼が7月に召天しますが、その年のクリスマスに洗礼を受けたのであります。正道君が両親の信仰を導いたともいえるでしょう。お二人とも教会員として信仰の道を歩んでおられました。その後、お父さんの祐一郎さんが天に召されました。お母さんは脳梗塞で体が不自由になりましたが、今は一人で一生けん命に歩んでいるのです。以前、私共夫婦が笠倉昭子さんを訪問した時、御近所の方が来ておられ、つくづくと言われたのでした。「正道さんは本当に良いものを残してくれました。お父さん、お母さんが教会の人になり、今はこうして一人で生活するようになっても、教会の人が次々に訪問してくれる。こんなにありがたいことはないわね。正道さんが両親に残されたプレゼントではないですか」と言われたのです。確かに正道君の両親へのお証であったと示されるのです。
笠倉昭子さんとは私ども家族はお交わりを導かれていました。正道君を天に送った昭子さんは我が家の三人の子どものたちを何かと心にかけてくださっているのです。我が家の家族旅行には何回か一緒に行かれたのであります。今でも一人一人について心にかけてくださっています。笠倉昭子さんは生活上のことはヘルパーさんに頼みながら歩んでいますが、今後のことについていろいろと思案しているようであります。教会の皆さんも何かとお手伝いをしていますが、限りがあるのです。しかし、神様に委ねること、基本的には笠倉昭子さんもその信仰に生きているのです。
私たちは時間的にも距離的にも離れてしまいましたが、主にある交わりは導かれていくでしょう。笠倉さんが望まれているように、時には、わざわざお会いしに来るでしょう。主イエス・キリストが共に歩んでくださっているのですから、イエス様に委ね、希望を持って歩んでいただきたいとお祈りしているのです。
<聖書の言葉>
わたしたちの姉妹フェベを紹介します。どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。
(ローマの信徒への手紙16章1-2節)