鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <115>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<115>
2012年6月25日 「こうして所有することになり」 


聖書の言葉
こうして、マムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、土地とそこの洞穴と、その周囲の境界内に生えている木を含め、町の門の広場に来ていたすべてのヘトの人々の立ち会いのもとに、アブラハムの所有となった。その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。その畑とそこの洞穴は、こうして、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった。
(創世記23章16-20節)




 毎日散歩することにより街並が少しずつ変化していくことを見ることになる。六浦に住むようになり、もはや2年3ヶ月になるが、散歩しているうちにクリエイトができ、その後まもなくヨークマートができる。金澤八景駅前の整備をするということで、商店が転居する場所の整備が行われているが、こちらはなかなか工事が進まないようである。連れ合いのスミさんがリハビリに行くときには、16号線にあるコンビニまで車で送る。そこからバスに乗るからである。そのコンビニが駐車場付近を広くして、そこに転居するようで、間もなく新装開店となる。2、3年の内に世の中は随分と変化するようだ。それが30年も住んでいれば、驚くばかりの変化となる。
 6月19日に「神の庭・サンフォーレ」の礼拝、総会に出席し、帰りに綾瀬の高齢者ホームに入居した笠倉昭子さんを訪問したことについては前回記している。久しぶりに綾瀬の街並を見ながら車を走らせたが、いろいろと変化があることを示された。一つは、幼稚園に近い所にガソリンスタンドがあり、数年前に閉鎖した。更地にして、しばらくそのままであったが、何やら工事が始まっていた。聞くところによると住宅が建てられるそうである。この土地は、スタンドを造るために、道路に面するまで掘り下げたのである。もとは小高い場所になっており、1979年に教会・幼稚園に就任した頃も小高い場の空き地であった。犬の散歩では、いつもその空き地によっては一休みしていた。それがスタンドを造るというので、道路の面まで掘り下げたのである。もともとスタンドは今のセブンイレブンのコンビニの場に森町石油があった。そこが閉鎖して、カラオケ屋さんやビデオ屋さんになったりしたが、コンビニで落ち着いたようである。そのコンビニの道路を挟んでマンションが建てられているが、ここに綾瀬ホームが建てられていたのである。教会から2分も歩けば行かれる場所である。毎週木曜日8時30分から利用者の礼拝が行われる。その頃、NHKの連続ドラマは8時15分から放映されていたので、ぎりぎりまでドラマを見ていた。28分頃になると綾瀬ホームに出掛けて行ったものである。なにしろ、その頃は「おしん」が放映されていたので。綾瀬ホームが吉岡の地に転居したので、テレビドラマどころではなく、8時には車で出掛けるようになる。始まりの時間より早く着くので、その時間は利用者の皆さんとの触れ合いの時となり、こういう触れ合いが大切であることを示される。2分前にあわてて駆けつけていた時代を反省したのである。
 大塚本町郵便局は木造の建物であったが、新しく建て直して今のような建物になった。工事中は、今は幼稚園の駐車場になっている場に仮の郵便局を造る。もともとその部分は空き地であった。仮郵便局を撤去後は貸し駐車場にすることを聞き、いち早く手を打ち、幼稚園と教会の駐車場にしたのである。駐車場と言えば、日曜日は園庭に駐車できるが、週日の教職員は近くの駐車場を借りていた。私自身も駐車料を支払っていたのである。仮郵便局後の駐車場取得はまことにありがたかった。それから間もなく、幼稚園の並びに地主さんが空き地を造ってくれたので、そこも駐車場として借りることにした。今では教職員はその駐車場を利用しているが、昔は駐車料を払っていたことを忘れてはならないだろう。さらに、幼稚園の園庭の隣に住宅があり、住人がいなくなったので借地を申し出る。その部分を園庭の一部としたのである。
 最近、同じ並びの数軒先の家が更地にして、売り出していたので、ある方法で幼稚園が取得したようである。賢明なことである。その隣の家も数年前に売り出したのであるが、教会は購入の決議をしなかった。将来的には必要な場であると思ったのであるが。機会があれば、何らかの方法で取得しておくことは、今後の活動のためにも役立つのである。いずれも借地であるが、次々にそれらの使用を得たことは、今の教会と幼稚園にどんなに役に立っているかを示される。
 こうして振り返ると、私は牧師・園長と共に随分と事業家に思われる。事業家の取組みは、実は伊藤忠利先生に教えられたことでもある。今は天におられる伊藤先生であるが、私が教会・幼稚園に就任した頃、伊藤忠利先生は相模原教会の牧師であり幼稚園の園長であった。そして、ドレーパー記念幼稚園の理事を担ってくださっていたのである。教会と幼稚園の狭い土地に対して、今は手に入らない土地にしても、何かと声をかけておくことが必要であるということを言われたものである。何気ない会話の中にも、教会・幼稚園としてもこの土地を使いたいので、その節はよろしくお願いします、くらいのことは言っておくべきですよ、と言われていたことが体に染み込むようになっていた。教会・幼稚園の駐車場にしても、教職員の駐車場にしても、園庭を広げたことも、それとなく地主さんに話していたのである。そして、そのときになると実現していくこと、伊藤忠利先生のご指導の賜物と思っている。結果においては神様のお導きであるが、事業の取組みも神様のお導きと示されたいのである。
 今回は大塚平安教会とドレーパー記念幼稚園付近について記しておいたが、大塚本町信号付近については、3月14日のブログに「昔を偲びつつ」と題して記しておいた。昔の綾瀬市役所付近、海老名駅周辺の変化等、記しておきたいことがたくさんあるが、機会があったら記しておきたい。



数年前の大塚平安教会とドレーパー記念幼稚園のたたずまい