鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <116>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<116>
2012年6月27日 「荒れ野で叫ぶ声」 


聖書の言葉
そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。
(マタイによる福音書3章1-4節)



 昨日の26日は久しぶりに横浜に出掛ける。もっとも5月19日には知人の結婚式を司るため、横浜駅前にあるベイシェラトンホテルに赴いている。そのときは礼服を着ているので、徘徊するわけには行かず、またガウン等荷物もあるのでまっすぐに帰宅している。また、6月17日は就任式に出席するため目白まで出掛けているし、19日は「神の庭・サンフォーレ」の礼拝と総会に出席するため秦野まで出掛けているが、徘徊することなく帰宅している。今回は所用であり、また徘徊することも思いに入れている。一人で出掛けたのである。人に会うわけでもなく、ラフな服装でも良いのであるが、長年の習慣が身についており、スーツを着て出かけたのである。しかも、カバンまでもって。何も荷物がないのだからショルダーバッグで良いのではないか、とは連れ合いのスミさんの助言であるが、出掛けたついでに書店や文具店により、何かを購入することを考えていたのである。
 隠退して、出掛ける機会が少なくなり、スーツを着て動き回っていた時代が懐かしいのである。朝、食事をすればスーツに着替える。月曜日から水曜日までは幼稚園の教職員の礼拝があり、それと共に職務が始まって行く。お母さん達との対応もあり、衣服を整えておく。木曜日は綾瀬ホーム、金曜日はさがみ野ホームの礼拝に朝から出掛けるので、やはりスーツを着ている。まあ、土曜日は出掛ける用事がないので普段着で過ごす。週日は、スーツを着ること一日中、いろいろな職務があり、出掛けることもあり、スーツを脱ぐのは午後7時頃である。スーツを着て過ごす毎日であり、たまに普段着の姿に接する皆さんは、不思議なものを見るようでもあった。そんな生活が身についているので、たまにはスーツを着て出掛けたいとの思いがないではない。日曜日の礼拝は、聖書に示されるように礼服を着用して礼拝に望む。大塚平安教会時代はまさに礼服を着ていた。しかし、今は礼服ではなく地味なスーツで礼拝を捧げている。それも礼服のつもりである。
 日中の横浜駅の商店街を歩くとき、いろいろな服装の人々を見る。もう久しく前からであるが、ジーパンのパンツが切れ切れになって穿いている人がいる。あれもファッションであるとか。以前の読売新聞の漫画「コボちゃん」で、お母さんが出掛けるときにスカートがほころんでいるのに気づき、一生懸命に繕って出掛ける。すると、町を歩く多くの人が切れ切れの服やパンツを穿いているのである。うまく繕って分からないようにしたコボちゃんのお母さんは、気が抜けたような顔をしているのである。今はどんなものでも、切れていようが、すべてファッションなのだろう。若い人たちは、日中スーツを着て、書店をブラブラ見て回っている老人を怪訝な思いで見ているのだろう。
 結局、所用を済ませ、書店や文具店に寄ったが何も買わなかった、比較的大きいカバンの中には文庫本、マクニールの「世界史」だけしか入っていない。それも、電車に座って読みはじめたが、すぐに眠ってしまう。前任の頃、出掛けるときは相鉄線であり、やはり本を開くものの、すぐに寝てしまい、「よこはま、よこはま」の放送で目覚めていた。京急線ではそういうわけには行かず、乗り越しをすまいと思っているので、駅に停車する度に目を開いては駅を確認する。こんなふうにして年を重ねて行くのかなあ、と思いつつ帰宅したのであった。あのバプテスマのヨハネのように、らくだの毛衣を着て、この荒れ野で叫ぶ必要があるのであるが。



昨年、4月5月にスペイン・バルセロナに行き、
娘の羊子が高級高齢者マンションでピアノ演奏会を開くので共にスーツを着て出掛ける。