鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <117>


隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<117>
2012年6月29日 「常に幸いに生きるようにと」 



聖書の言葉
我々はエジプトでファラオの奴隷であったが、主は力ある御手をもって我々をエジプトから導き出された。主は我々の目の前で、エジプトとファラオとその宮廷全体に対して大きな恐ろしいしるしと奇跡を行い、我々をそこから導き出し、我々の先祖に誓われたこの土地に導き入れ、それを我々に与えられた。主は我々にこれらの掟をすべて行うように命じ、我々の神、主を畏れるようにし、今日あるように、常に幸いに生きるようにしてくださった。我々が命じられたとおり、我々の神、主の御前で、この戒めをすべて忠実に行うように注意するならば、我々は報いを受ける。
申命記6章21-25節)



 国道16号線の「六浦中学入口」の信号の角にセブンイレブンがあり、道を挟んだ駐車場付近をかなり広くして、そこに新店舗を造っていたことについては既に記している。そして、29日が新装開店日である。午前7時から開店である。昨夜、就寝するとき、朝になったら開店売り出しに行ってみようかと思いながら横になる。そんなことで、新装開店の店の中でうろうろしている夢を見るのである。以前はそんなことは考えもしなかった。六浦駅前のスーパーが閉店し、その後は大きなセブンイレブンができる。開店の日の夕刻、散歩の途上にあるので寄ってみる。チラシを三枚ももらう。後日、そのチラシの一角を切り取って店に持っていくと、六枚切りの食パンをくれる。一度にもらうことはできないであろうと、毎日一つずついただいたのであった。なんか得をしたような思いになる。以前においては考えられないことである。そういうことをすれば、すぐに噂にのぼり、幼稚園の園長が、教会の牧師がただの食パンをもらっていた、ということが広まる。なにしろ、周りはすべて知り合いなのだから。今回もチラシが入り、やはり食パンをいただけるそうだ。これはまた、いただきに行かなければならない、と思う自分を不思議な面持ちで観察しているのである。こちらでは、だれ一人知り合いはいないので、気持ちが大胆になるようだ。境遇が人を変えるのかも。
 街並が様変わりしていくことについて、大塚平安教会時代に思いを馳せ、大塚本町付近や教会と幼稚園付近について、変化していく街並をこのブログに記しておいた。今に至る経過を知っておくことは大切であるからだ。そしたら、ドレーパー記念幼稚園からの問い合わせがある。管理ファイルの中に「浄化槽点検票」があるが、「最近は点検していないようであり、そのあたりのいきさつはどうなのか」とのことであった。浄化槽とはトイレを処理するものである。以前は大塚本町付近には下水道がなく、汲み取り方式であったのである。人が多く出入りする建物には浄化槽が設置される。トイレで流されたものは浄化槽に入り、そこで浄化して雑排水溝に流すのである。しかし、汚物は溜まっていくので、定期的に汲み取るのである。その浄化槽も定期的に点検していたのである。下水道が設置されるのは、はっきり記憶にないが15年くらい前のことであろうかと思われる。その点検票が残っているのであるが、これは歴史の流れを知るためにも保存しておいたら良いと思う。上下水道が完備したのは、そのように記すとまだ歴史が浅い。最近になって大塚本町付近が整備されたということである。
 上下水道が完備したので浄化槽は不要になる。掘り出すわけにもいかず、そのまま土を入れて埋め込んでいるのである。土を掘り返せば歴史が出てくることは、言うまでもない。不要なものはそのまま埋め込んでしまう場合が多いのである。幼稚園にしても、教会にしても、掘り返せば歴史の名残が見つかる。あえて掘り返す必要がないのであるが、地に眠る歴史に思いを寄せておくことも必要なことであろう。幼稚園のたたずまいも、まだしばらくは変わらないであろう。今のたたずまいに至る経過も記しておく必要がある。それが書けるのは30年間園長であった者の責任でもあろう。あまり時間がないことを思えば、早速始めようか。



大塚本町郵便局から見る幼稚園のたたずまい。



歴史を見つめる大きな欅の木。