鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

父親たち…(ぶどうの木・巻頭言05年度)

昨日の日記は笠倉祐一郎さんの召天記念日でありましたので、笠倉さんの残された証を紹介しました。幼稚園では文集「ぶどうの木」の発行の準備をしていますが、私に求められているのは巻頭言です。それで、今までどんな巻頭言を書いたのか調べてみました。そしたら、2005年度の巻頭言に笠倉さんのことを記していました。召天された年度の巻頭言であり、笠倉さんの歩まれた姿を私なりに証させていただいたのです。今日はこの巻頭言を昨日との関連で記しておくことにしましょう。
巻頭言「親の進路を指し示す」         園長  鈴 木 伸 治
当幼稚園で送迎バスの運転をされた笠倉祐一郎さんが、去る2月14日に召天されました。77歳でした。幼稚園の園庭に外灯が立てられていますが、1997年に笠倉さんご夫妻が寄贈されたものです。毎年、8月に夕涼み会が開催されます。電球や堤燈で園庭を明るくしますが、それでもあまり明るくありません。それで笠倉さんが寄贈されたのでした。子ども達にとっては一年に一度、明かりの恵みをいただきます。夕刻には絵の教室があり、ピアノのレッスンを受ける子ども達はいつも明かりの恵みをいただいているのです。外灯の下の部分、裏側に「笠倉正道召天一五周年記念」と記されています。その笠倉正道君は1982年に21歳の若さで召天されたのでした。正道君は当ドレーパー記念幼稚園の卒業生です。彼は一年半の闘病生活をしますが、人生の大きな証を残されて召天されたのです。笠倉祐一郎さんについて記すにはご子息・正道君について記さなければなりません。
1980年の秋頃、笠倉正道君が初めて教会の水曜日の集会に出席しました。その時、私は会議のため出かけており会えませんでしたが、後日牧師とお話がしたいと訪ねて来たのです。彼は一浪中であり、来春の受験勉強をしていました。勉強に疲れたと言い、いろいろなお話をしました。人生論、哲学論など、何だか難しいお話をしたことが思い出されます。受験勉強中でその後は礼拝にも水曜日の集会にも出席しませんでしたが、時々牧師を訪ねるのでした。大学に合格したら礼拝にも出席し、忙しい私の手伝いをすると言っていました。そして、春になり、合格したことを電話で知らせてきたのです。ところが彼は礼拝には出席せず、牧師を訪ねても来ませんでした。連れ合いが彼の家に電話すると、腰痛で整形病院に入院していると言うのです。お見舞いをし、退院を待ちわびていましたが、一向に退院しません。整形病院に電話で彼の動向を尋ねました。すると彼は横浜市大病院に転院したというのです。腰痛であると診断されましたが、実は腰に腫瘍があったのです。市大病院に運ばれたときには手遅れでした。下半身麻痺となってしまいました。しかし、彼は希望を持ち、車椅子で頑張ると言い、運動選手になるとも言うのでした。牧師である私は毎週木曜日の午後には病室の彼を見舞い、聖書のお話や人生論を語り合っていました。彼はキリスト教の洗礼を受けることを希望するようになりましたが、そのためには退院して教会で洗礼を受けることを願っていました。七沢の病院でリハビリを始めるにあたり検査がありました。ところが腫瘍が他にも転移していることが分かりました。結局、リハビリが出来ず、その後病状が進んでいくのでした。教会の皆さんがお見舞いすると、彼は苦しい中にも笑顔で応対し、むしろお見舞いした人を労わったりするのでした。彼の優しさと信仰は人々の励ましともなったのです。お父さんの祐一郎さんは、正道君が教会で洗礼を受けることに固執しているので、退院は難しいと判断し、自分も洗礼を受けるから、この病室で二人で洗礼を受けようと励ましたのでした。1982年5月30日、洗礼式が執行されました。その後、7月1日に召天されたのでした。お母さんもその年のクリスマスに教会で洗礼を受けました。笠倉ご夫妻は教会の皆さんと共に今日まで、喜びつつ歩んできました。「自分たち夫婦を良き道に導いたのは息子・正道の導きである」と常々述べておられました。
老いては子に従え、との格言がありますが、笠倉さんはお子さんに人生の良き道を指し示されたのです。会社を定年退職されてから幼稚園バスの運転をされましたが、正道君の卒業した幼稚園で仕事が出来ると言われ、大変お喜びでした。正道君を天に送り、子どもの居ないご夫妻にとって、幼稚園の子ども達との触れあいは神様からのプレゼントと言われていました。教会では役員としてもお働きになり、一人っ子のお子さんを天に送った悲しみを持ちつつも、お子さんが指し示した人生を喜びつつ歩まれたのでした。親は子どもの良い成長を願い、人生の指針を示すでしょう。その場合、子どもは素直に親の望む方向に進路をとることもありますが、親が望まない方向に進んで行くこともあるのです。そして、いつの間にか子どもが親の進路を指し示すときが来るのです。
さて、私たちの子ども達はどんな祝福の道を指し示してくれるのでしょう。この「ぶどうの木」に実らせた保護者の皆さんのお気持ちは、お子さんにとって宝物となりますが、親の進路を指し示す種ともなるでしょう。
聖書の言葉
「父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。」(エフェソの信徒への手紙6章4節)