鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

生きるにも死ぬにも…(笠倉祐一郎さんの証)

今日はバレンタインデーという日です。何も期待してないというとしたら嘘になります。何となく、期待をしていました。今年は良い年でした。一日が終わってみれば、なんと8名の方からチョコレートをいただいてしまいました。夜、8時になって書斎で執務しており、そろそろ終わりにしてお風呂に入り、夕食にしようと思っていましたら、駆け込むかのごとくにチョコレートを持ってきてくれた方がありました。皆さんには、心からお礼を申し上げます。
バレンタインデーとチョコレートとはまったく関係がありません、と皆さんにお話しています。バレンタインさんという神様を信じる人が、神様の愛を手紙により人々に示しました。それが「愛の手紙」ということになり、女性が男性に送ることになったようです。それにうまく乗ったのがチョコレート会社であったわけです。今ではバレンタインデーの意味がまったく変わってしまいました。否定してもしょうがないし、いただけばうれしいし、複雑な思いでこの日を迎えているのです。
むしろ、2月14日は別の日として重く受け止めているのです。大塚平安教会の会員であった笠倉祐一郎さんの召天記念日であるのです。笠倉さんはドレーパー記念幼稚園を卒業した笠倉正道君が若干21歳で召天される一ヶ月前に、正道君と共に横浜市大病院の病室で洗礼を受けました。お連れ合いの昭子さんもその年のクリスマスには洗礼を受けられました。一人息子の正道君を天に送った悲しみを持ちながらも、お二人とも信仰をもって歩んでこられましたが、笠倉祐一郎さんは2005年2月14日に召天されました。幼稚園を卒業した皆さんにはバスの運転をされていた笠倉さんを思い出すでしょう。笠倉ご夫妻はトーンチャイム一式を教会に寄贈され、皆さんが美しい音色を喜んでいます。また、幼稚園の庭に外灯が立っていますが、ご夫妻の寄贈です。夕涼み会では庭を明るくしてくれています。笠倉さんの召天記念日にあたり、笠倉さん自身が書かれて証を再び示されたいと思い、この日記に記しました。この証は、「信仰の得を証する」という主題で1998年10月9日に教会で行われた修養会で、お話されたものです。笠倉祐一郎・昭子ご夫妻のご子息・正道さんは1982年に召天され、一年後に記念会が開催されました。そのとき、遺稿記念集「主よ、みもとに」が発行されました。父親としてのお気持ちを以下の手記として記されました。
証「神との出会い15年」 笠倉祐一郎
光陰矢の如しと申しますが息子正道が召天してから、早や15年の歳月が過ぎ去りました。
正道が教会に牧師を訪れたことから始まり、その後発病し、横浜市大病院で亡くなるまで1年半の間、牧師先生の励ましを受け精神的に全く動揺を見せず召天したことについては、イエス・キリストなる主と牧師先生に深く感謝する次第です。
今年度の修養会を迎えるに当たり、牧師先生から、召天15年の区切りに信仰の得について証をと話がございました。教会に全く無縁でありました私共が、毎週礼拝に出席するようになりましたのは、正道を通して神がお招きくださったのだと深く感謝しております。
神との出会いによる信仰の得について考えますとき、神が私共に何を与えてくださったのだろうと思います。それは神と出会い信仰15年の月日の流れすべてが、私共に与えてくださった賜物だと思います。流れ過ぎてゆく月日の一日一日を、神を信じ神の恵みを受け良き友との交わり、教会の行事に参加し心の平安を与えてくださった日々は、正に信仰の得だと思います。
また15年の歩みの中で定年退職という人生の節目がありましたが、幸いにも大型免許が役に立ち幼稚園送迎バスの職を与えられました。子供の居ない私共に多くの幼子と共に日々過ごすことが出来ますのも、神の導きによる大きな信仰の得と考え感謝しております。
私共に残された人生も、もう幾許もない年齢となりました。既に親を亡くし子も逝き、親しかった近親、友人等の顔々が頻りと夢の中に浮かぶ此の頃です。
讃美歌320番、「うつし世をば はなれて 天かける日 きたらば いよよちかく みもとにゆき 主のみかおを あおぎみん」 
この美しい歌詞のとおり、いつか神に召されて空たかく、天かける日までどうぞ主よ、貴方の栄光が私達の上にかぎりなくありますことを、心から祈ります。
聖書の言葉
「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。」(フィリピの信徒への手紙1章20節)