鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <112>

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<112>
2012年6月18日 「自分の務めを果たしなさいと」 


聖書の言葉
神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。しかし、あなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。
(テモテへの手紙<二>4章1-5節)



 昨日の六浦谷間の集会は、礼拝は連れ合いのスミさんと二人だけでささげる。このところ、どなたかが出席されるので、二人だけの礼拝は4月22日以来である。この日はどなたもお出でにならないことが分かっていたので、いつもは10時30分から開会であるが、30分早めて10時開会とした。この日は知人の古旗誠牧師の目白教会就任式が午後3時から行われるので、夫婦共に出掛けることにしていたのである。早めに昼食をとり、12時30分頃には家を出る。スミさんの腰の具合を思い、タクシーを呼ぶことを提案するが、六浦駅まで頑張って歩くと言う。その気があれば歩いた方が良いので、歩くことにした。JR山手線目白駅から目白教会まで、ここも結構歩くことになる。この道を往復歩き、帰りは六浦駅から歩かないで金澤八景駅からタクシーで帰ったのである。とにかく行き帰りも随分と歩いたので、大分こたえたようである。それにしても、連れ合いのスミさんが杖を使っているので、電車に乗ると席を譲ってくださる方がおられ、行きも帰りも座って行くことができた。おまけに私までも席を譲られ、そういう年齢であることをしみじみ思うのである。
 我が家から目白教会まで2時間30分を要する。遠距離でもあり、半分は欠席しようかとの思いがあった。しかし、例えば、東京、神奈川以外の教会に就任したとしても、私達はお祝いに出席しなければならない関係なのである。古旗誠牧師は、この3月まで神奈川教区の横浜上原教会の牧師であった。もう随分と長く牧会したと思う。その横浜上原教会に赴任する前は、大塚平安教会で2年3ヶ月、もう一人の牧師として私と共に牧会する。もう少し辿っていくと、その前は千葉海浜伝道所、その前は田園調布教会、その前は神学生時代になるが、神学生として一年間、大塚平安教会を奉仕生活として過ごしたのである。関係はそれだけではなく、古旗誠牧師のお連れ合いの由紀子さんは大塚平安教会員であったということである。彼が神学生として一年間歩んで、結局、大塚平安教会にとっては大事な奏楽者の一人であった由紀子さんを連れて行ってしまったと言うわけ。だから私達夫婦が結婚式の証人となったのである。このような関係があるので、深いかかわりがあり、何かあれば飛んで行かなければならないのである。
 昨日の就任式が目白教会で行われ、その後は隣にある日本聖書神学校のホールで祝会が開かれる。大勢の皆さんがお祝いに馳せ参じていた。今までの横浜上原教会から15、6名、横浜本牧教会から5名の皆さんが出席している。横浜本牧教会は現在の森田裕明牧師を古旗誠牧師が神学校の人事担当として紹介したのである。さらに大塚平安教会からも8名の皆さんがお祝いに出席されていた。大塚平安教会は第三日曜日の礼拝後は役員会開催日であるのに、予定を変更して皆さんが出席されたのである。
 祝会の開会にあたり四人の皆さんが祝辞を述べたのであるが、私もその一人として祝辞を述べさせられる。前記したように、深いかかわりがあるので、その辺りをお話すれば良いのかもしれないが、これらの経緯は一切お話しなかった。祝会司会者から、私達夫婦が仲人であると紹介されたので、目白教会に新牧師就任のお祝いと言うより、古旗誠牧師をよろしくお願いしますとの挨拶にとどめたのであった。
 彼が目白教会牧師に就任することは、いろいろな意味合いを示されていた。そのあたりの思いを就任式出席のハガキに記しておいた。配布された「お祝いの言葉」の中に、私が書いたコメントも記されていると思い、私の名前を捜したのであるが、見当たらない。さては書き忘れられたと思ったのであるが、「お祝いの言葉」は欠席者のものであった。これらを読むと、多くの場合、欠席することの言い訳が記されているのである。むしろ、欠席者より、喜び勇んでお祝いに駆けつけた人たちのお祝いの言葉を紹介した方が良いのである。
 目白の神学校は日本聖書神学校を卒業した者たちにとっては故郷なのである。並んで建てられている目白教会のたたずまいも含めてである。その故郷の教会に就任したことをお祝いしたのである。この目白教会は、私が神学校で学んでいる頃は篠原金蔵先生が牧師であった。神学校の寮から見ると、少しの空間があり、その向こうに牧師館があった。その空間の一角に大きな銀杏の木がそびえたっていた。その銀杏の木に、時々雀の大群が羽を休め、それはそれはうるさいと思われるほど、ぴいぴい、ちいちいと鳴いているのである。すると金蔵先生が牧師館の窓を開け、ぱんぱんと手をたたく。すると一斉に雀たちは飛び立っていくのであった。このようなことがいつも行われているのであるが、そのうち金蔵先生のパンパンは神学生に向けているのではないかと思うようになるのである。その頃の神学生には留年を繰り返して、10年も寮にとどまっている学生がいた。私自身も一年間留年したのである。そういう神学生に、早く巣立ちなさいと声援しているのではないか、と思うようになったのである。巣立って行った神学生達は、牧師となって故郷を思うとき、神学校のたたずまいであり、目白教会のたたずまいをいつも心に示されているのである。
 祝辞を述べるとき、私と彼との関係を述べることは割愛しても、以上のことを述べようと思っていた。しかし、私達が彼らの仲人あることを紹介されたので、「古旗誠牧師をよろしくお願いします」にとどめたのであった。故郷にあって卒業生たちに、ぱんぱんと手をたたいては声援し続けていただきたいと思いつつ、祝会に臨んだのであった。



古旗誠牧師の目白教会就任式



就任式祝会で祝辞を述べる。