鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <111>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<111>
2012年6月15日 「助けを必要とするなら」 



聖書の言葉
ケンクレィアの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。
(ローマの信徒への手紙16章1、2節)




 説教集第二集「主の導きに委ねつつ」を5月21日付けで発行したことについては、既にこのブログでも記している。実際にできあがったのは6月6日であった。なにしろすべて手作りであるので、大量に発行するのは困難であり、限定30部の発行である。何よりも家族のためであり、また説教の中で証を紹介させていただいた方にも差し上げる。また、私との関わりの中で伝道者になった皆さんにも送っている。今後、第三集、第四集を発行するつもりでいるので、その都度、関わりの皆さんには差し上げようと思っている。
 ところで毎週の説教については、そのまま原稿に記しているので、三人の子ども達にはメールに添付して送っている。説教はブログで公開しているので、それを読んでもらえば良いのであるが、メールに添付して送れば、そのままプリントアウトできるからである。スペイン・バルセロナにいる羊子がそれを望んだので、添付して送っているのである。羊子は説教ブログも必ず読んでくれており、そして必ずブックマークの☆しるしをつけてくれるのである。ブックマークの☆しるしは、このブログに三人の子ども達が必ずつけてくれるので、付けてくれるだけで、元気に生活しているんだと思っている。三人の子ども達の他にTONKOCHANもブックマークを時には付けてくれるので、この方も元気に活躍しているんだ、と思うのである。
 6月10日は横須賀上町教会の礼拝説教を担当し、聖餐式を司っている。説教については、既に公開しているのでお読みいただいている方もあるだろう。今回は「永遠の住まいへの導き」と題して御言葉を示される。私達がこの世に生きて、永遠の住まいへと導かれるのは、他者の存在を受け止めて、共に生きることであることが示される。他者を愛することは、聖書に教えられなくても、この世に生きるものとして当然の生き方なのである。だから、一人キリスト教の教えではない。しかし、私達が神様に祝福されるのは主イエス・キリストの十字架の贖い、救いを信じ、そして他者と共に生きることなのである。永遠の住まいへの導きは、私達がこの世において、いかに他者と共に生きたかが問われるということなのである。だから、幼稚園でも、教会学校でも、そして大人の礼拝でも、「自分を愛するように、隣人を愛する」というイエス様の教えが繰り返し示されるのである。説教は常にこの教えに原点をおきながら示されてきたのである。そのように常に説教で示されながら、本当に他者を受け止めているか、昔の自分の体験を示されたのであった。6月10日の説教で、私達の二番目の子ども、星子の姿勢を紹介したのである。
 ある日、まだ小学生4、5年生頃かと思うが、星子が友達を我が家に連れてくる。友達は玄関に入り、私の顔を見たが黙って星子について部屋に入って行った。しばらく遊んでいたが、帰ることになったので、両親は玄関でお友達を送りだしのであった。その友達は、来たときも帰るときも、ポカンと口を開けながら、私達の顔を見ただけである。「こんにちは」とも「さようなら」とも言わないで、黙って帰って行ったのである。それくらいの挨拶はできるであろう。そんな思いもあって、「あのような子が友達なの」と星子に聞くのである。「だからだよ」と星子は言う。学校では誰も遊ばないそうだ。それで星子が友達になって連れてきたのである。「だからだよ」と星子に言われて、胸が刺される思いであった。他の存在を受け止めて生きましょうと奨励しながら、思わず「あのような子」と言ってしまった自分をつくづく示されるのであった。今回、その説教を子どもたちに送ったのであるが、星子自身が昔の自分の姿を示され「胸を刺される」思いであったとメールにしたためている。
 説教は家族の祈りと協力があってできあがるのである。説教については、いつも四苦八苦しているのであるが、家族が何かと説教の材料を提供してくれるのである。子ども達が、まだ中学生、高校生の時代であった当時も、例えば夕食で話しているとき、子ども達は友達との関わりを話してくれるのであるが、「このお話、説教になるでしょう」と言ってくれるのである。人との出会い、関わり、そのような日常の事柄が御言葉に導かれていることを子ども達は説教者に示してくれていたのである。その意味でも、説教集を発行したのは、協力してくれている家族ためであること、それは最初にも記した通りである。今回、星子の「だからだよ」、羊子の「小さい伝道者」、百合子の「お客さん、来ないねえ」については、教団新報にも談話に記しているし、今までの説教の中で紹介している。家族の証しが説教を構成しているということである。それにつけても、連れ合いのスミさんが、感動した新聞記事等を示しては、読むことを勧めてくれる。素直に従えばいいのに。



教団新報に談話として寄稿した「小さい伝道者」(2004年6月5日)と
「お客さん、来ないねえ」(2006年4月1日)