鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <110>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<110>
2012年6月13日 「懐かしい食感を思い出し」

 

聖書の言葉
エスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどになる」。
(マタイによる福音書13章31、32節)



 トマトが体に良い、とのテレビ番組があり、とたんにトマトが爆発的に売れるようになったとか。NHKテレビの「あさいち」とか「ためしてガッテン」等の番組が、食材関係を紹介し、健康によろしいと報道すれば、それらに殺到するのが人の心理と言うものらしい。トマトの番組の前日に、連れ合いのスミさんに頼まれて、散歩のついでにトマトを買ってきたばかりである。もし、報道された日にトマトを買いに行ったら、売り切れなんてあるのかな。
 トマトは我が家でもよく食べるし、ミニトマトも食卓に出る。もともと昔からトマトを食べていたが、昨年4月5月にスペイン・バルセロナに行ってからは、別の意味でトマトへの愛着を持つようになった。娘の羊子がピアニストとしてバルセロナで演奏活動をしているので、一ヶ月半ばかり滞在したのである。滞在中に覚えたことはトマトの食し方である。スペインばかりではないのであろうが、パンを食べるとき、パンにトマトを刷り込む。その食べ方を「すりすり」と我々は称していた。食卓には必ずトマトがそのままの形で置かれている。レストランでトーストを注文したら、トマトがべったりと塗られて出てきたのには驚く。羊子の家で生活するうちにも、いつもトマトを「すりすり」しながらパンを食べていた。パンにトマトをすりすりし、その上にオリーブ油を少々乗せて食べるのである。パンにすりすりした後のトマトをどうしたのか覚えていない。羊子の家で食事をしているときには、すりすり後のトマトを食べていたと思う。しかし、お呼ばれしたとき、すりすりした後のトマトはそのままにしていたと思う。客であるのに、そのトマトを食べるのは、やはり行儀が悪いように思えるのである。では、今でも「すりすり」しているのかと言えば、トマトはそのまま食べるのが美味しいのであり、パンはスライスチーズやレタスを挟んで食べているのですりすりはしていない。




羊子の友人のお誕生会に招かれ、美味しいご馳走をいただくも、
「すりすり」用のトマトが並べられる。


トマトがべったりと塗られたトースト。
バルセロナ・4GATSのレストランにて。




 トマトの昔の思い出と言えば小学生の頃である。父は里山の中腹に畑を作り、いろいと野菜等を栽培していた。夏になり、友達が遊びに来るとその畑に連れて行く。そしてトマト畑に行き、もいで食べた時の食感が今でも忘れられない。今は、トマトと言えば冷蔵庫で冷やしてあるので、冷たいトマトを食べる。畑でもいだトマトは夏の日照りの中で、かなり暖かくなっているのである。その暖かいトマトをかじって食べた時の感触が今でも思い出されるのである。その他、キュウリを食べたり、さつまいもを掘ってそのまま食べたりしていた。
 連れ合いのスミさんは、庭で育てたキュウリやトマトを収穫するのを喜びとしている。スーパーで売っている形の良いキュウリやトマトと異なり、いろいろと変形しているのであるが、やはり自分で栽培した野菜は何物にも代えがたい。取れた野菜は両親の写真の前に置いている。御供えと言う意味ではなく、報告の意味である。
 今日はこのブログを書く前に、スミさんと買い物に出かけた。スーパーマーケットで野菜の売り出しをしているからである。にんじん、たまねぎ、キュウリ、じゃがいも等、一個20円であり、野菜にこと欠いているので、スミさんは大量でもないが買い込んでいた。午前中のスーパーがこんなに混み合っているとは知らなかった。買ったものを支払いするのに、レジの前は長蛇の列なのである。それにしても日本のスーパーはどこも混み合っている。豊かな日本であることを示されるのである。食材を与えられ、昼食をしているときにも、テレビのニュースはシリアの悲惨な状況を報じていた。総じて平和な日本であることを示されている。
 今日はヨーロッパのユーロ状況を心に留めながら、すりすりしてパンを食べようか。