鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <109>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<109>
2012年6月11日 「人々から好意を寄せられ」
 

聖書の言葉
信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。
使徒言行録2章44-47節)



 昨日は第二日曜日であり、横須賀上町教会の礼拝説教、聖餐式を担当した。今回は私たちの子ども達はそれぞれ都合があり出席できなかったが、思わぬ方が出席されたので、出席者もいつもより多い。いつもは10名前後の出席であるが、今回は16、7名であったと思う。私達夫婦と私達の知人夫婦、そして横須賀学院の生徒4名が出席している。キリスト教主義の学校は、生徒に教会の礼拝に出席するよう励ましているが、それだけでは出席しないものである。だから出席した教会の牧師の証明をもらってくるよう義務付けている。横須賀上町教会は横須賀学院が比較的近くにあり、そういう意味で出席する生徒が結構いることになる。大塚平安教会時代もキリスト教主義学校の生徒が出席したものである。中には本人が出席しないで、祖母に当たる方が代わりに出席し、「孫はお稽古事で出席できないので、まことに申し訳ないのですが、私が出席したので証明してもらえないでしょうか」と頼みこまれる。本人が出席しないのに証明できないのであるが、老婦人の懇願に負けてしまい証明してあげたのであった。キリスト教主義の学校は少なくとも年に一回は教会の礼拝に出席するよう奨励しているが、その時だけであり、証明が義務付けられなければ出席しない。それでも、中にはこの日がきっかけになり、以後出席するようになる場合もあるだろう。あるいは洗礼に導かれる場合もあるだろう。神様の大きな導きがあるのである。学校を卒業して、社会人になって導かれる場合があるのである。
 昨日は礼拝後に愛餐会が開かれた。毎月、第二日曜日には開いているという。3月まで代務者をおいての歩みであったが、その代務者が礼拝を担当するのは第二日曜日であるので、愛餐会を開いていたのだと言われる。皆さんが手作りの食べ物をご持参くださり、歓談しながらいただくとき、いよいよお交わりが深められるのである。愛餐会に臨むとき大塚平安教会時代が思い出される。当初はシオンの会が「そば・うどん」を用意してくれたので、礼拝後はいただきながらお交わりが導かれていた。そのうち壮年会も愛餐会を開くようになり、カレーライスを提供する。さらに婦人会も食事を用意することになり、礼拝後はいつも食事の交わりが導かれていたのである。このように食事を提供するのは、食事代を徴収して建築資金にささげることが目的であったのである。その大塚平安教会はいよいよ新会堂の建築に踏み切っているが、建築資金の中に愛餐会の食事代も多く捧げられていることであろう。
 ところで昨日の横須賀上町教会の礼拝に思わぬ方が出席されたと記したが、去る5月19日にベイシェラトンホテルで、私の司式で結婚式を挙げたお二人であった。私が第二日曜日に横須賀上町教会の礼拝を担当していることを御存知であり、結婚式の御礼を言われるために、相模原からわざわざお出かけくださったのである。彼らも愛餐会に参加し、皆さんとお交わりを深めたのであった。お二人には私共の家にお寄りくださるようお勧めしたが、横須賀の町を見学されたいと言われる。それで、かの有名な「どぶ板通り」を歩くことをお勧めしたのであった。横須賀と言えば、海軍カレーで知られているが、フラッグTシャツもどぶ板通りの商品である。タイガーやドラゴン等の図柄である。その他、どぶ板ラスクやカレーせんべいも名物とか。私も昔はこの通りを歩いたものであるが、今は機会がないし、また歩く予定もない。
 月に一度であるが、皆さんと共に礼拝をささげることができ感謝している。皆さんと共に聖餐式に与れるし、愛餐会のお交わりに参加できる。神様がご用意くださった職務であると受け止めている。



横須賀上町教会の礼拝にて聖餐式司式をする。



礼拝の終わりに祝祷を行う。