鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<414>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<414>
2016年6月29日「あんなこと、こんなこと…」



聖書の言葉
そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」。わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」。
イザヤ書6章8節)



毎年のことであるが、6月の第四土曜日は神奈川教区の総会が開かれる。今年は6月25日に清水ヶ丘教会で開催された。2010年3月に大塚平安教会を退任し、しかし4月からは横浜本牧教会代務者に就任したので、6月の総会には横浜本牧教会からの議員として出席することになった。それまでの30年間は大塚平安教会の議員として出席していたので、なんか不思議な思いで出席しものである。横浜本牧教会は9月までで、10月からは無任所教師になり、教区総会には准議員として出席できるのであるが、准議員は意見を述べることができても議決権がない。直接の責任がないこともあり、その後の教区総会には出席しなかったのである。ところが今回の教区総会に出席することになった。今は毎月一度であるが横須賀上町教会で礼拝説教、聖餐式を担当している。同教会の教師がまだ伝道師であり、教団の定めにより聖礼典(洗礼式、聖餐式)が執行できないのである。そこで、隠退しているのであるが、私が担当していたのである。その伝道師が正教師試験に合格し、教区総会にて牧師になるための儀式、按手礼式を受けることになったからである。按手礼式は牧師になるための儀式でもある。今は横須賀上町教会に関わる者として、その教会の牧師の誕生をお祝いしたのであった。
その按手礼のため、2015年2月28日開催の教区総会にも出席している。大塚平安教会出身の小林美恵子さんの按手礼式が行われたからである。大塚平安教会在任時代、教会学校教師、礼拝奏楽等、多方面で奉仕されている小林さんに牧師の道をお勧めしたのである。小林さんは祈りつつ勧めを受け止められ、神学校へと進まれたのである。神学校を卒業後は上倉田教会の伝道師に就任される。そして正教師に合格され、按手礼を受領されたのである。これはぜひ按手礼式に臨まなければならない。それで連れ合いのスミさんと共に清水ヶ丘教会で開催された教区総会に出席したのである。スミさんにとっては、もう一人お祝いしたい伝道者がおられたからでもある。昔からの友人で石丸泰樹牧師のご子息が、同じ教区総会で按手礼を受領されるからである。こうして隠退後は按手礼が行われるので教区総会に出席したが、他の教区総会には出席していない。
つらつら教区総会を振り返ってみると、人生の岐路となるようなことが待ち受けていたことを思い出している。2010年3月末に大塚平安教会を退任することになっているが、その前の2月総会に出席する。昼食休憩で知人たちと共におそば屋さんに行く。そこで、執拗に求められたのが、横浜本牧教会の代務者の職務であった。知人の一人は、神学校同窓会の人事担当者で、大塚平安教会退任の私に白羽の矢を立てたのであった。退任後は、温泉三昧で過ごそうか、なんて考えていたのであるが、やむなく引き受けてしまったのである。更に、今は三崎教会の礼拝説教に隔月ではあるがお招きをいただいている。きっかけは教区総会であった。総会中、選挙になったので、准議員になっているので選挙には関係しない。それで総会の受付付近で、いろいろと掲示物等を見ていた。そこへ三崎教会の生野隆彦牧師が総会に出席するために入って来られたのである。いろいろと立ち話をしているうちにも、三崎教会の礼拝説教を引き受けたのであった。生野牧師は、今は三崎教会の代務者であり、説教は諸牧師を招いているという。
教区総会の不思議な導きを示されるが、もう一つ記しておこう。大塚平安教会在任中に教団総会書記になり、5月頃になると諸教区に問安使として派遣される。東海教区に問安使として訪れたとき、神学校の後輩にもあたる斎藤篤牧師と出会うことになる。彼は東海教区では責任ある職務を担っていたのである。その彼と再び出会うのはバルセロナであった。バルセロナ日本語で聖書を読む会で奨励をさせていただいたのであるが、何とその集会には斎藤牧師が出席したのである。その頃の彼は、ドイツのケルン・ボンにある集会の牧師をしていた。その消息は聞いていたが、まさかわざわざやってくるとは思ってもいなかった。実は、彼には目的があったのである。ベルギーのブリュッセルの集会の牧師が退任するので、後任として赴任してもらいたいとのことであった。在外牧師の経験はマレーシア・クアラルンプールの日本語教会で経験していることもあり、斎藤牧師の申し出をほぼ受け入れる方向で帰国したのである。連れ合いのスミさんは、そうなる思いが強かったので、いろいろな荷物を羊子の家に置いてきてしまう。ブリュッセルであれば、簡単にバルセロナと行き来できるからである。しかし、帰国して示されたことは、やはり年齢も嵩んでいるということであった。その勧めをいただいたのは2015年の1月であり、我ら夫婦は75歳にもなっていたからである。結局、ブリュッセルは辞退したのであった。もし、就任していたら、その後、ブリュッセルのテロ事件があり、EUの本部があるので、イギリスのEU離脱問題を経験することになる。
教区総会に出席しながら、「あんなこと、こんなこと」を示されたのであるが、「そんなこと」も書こうか…。



最近は、毎回教区総会の会場となる清水ヶ丘教会。



三崎教会で礼拝説教を司る。



横浜本牧教会で説教を司る。



バルセロナ日本語で聖書を読む会。集会後、楽しい食事。
斎藤篤牧師がドイツから出席する。