鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <69>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<69>
2012年3月9日 「草は枯れ、花はしぼむが」 


聖書の言葉
呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹き付けたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
イザヤ書40章3-8節)



前回のブログで、大塚平安教会の近くにある桜並木について触れた。桜並木は昔を物語るようにどっしりとした太い桜の木の並木である。ところがその桜並木は青空通りに変わってしまっていた。あのどうどうとした桜の木が切り倒されていたのである。桜の木がないので、明るい通りになっており、様子が一変してしまったような思いであった。桜並木は太い桜の樹木が続き、葉のない冬枯れの季節でも、やはり太い樹木で陽光を遮っていたのである。桜の花の季節には、花のトンネルを楽しみつつ歩く。そして秋までの深緑の季節は、木漏れ日をいただきながらも樹木の下を歩く快感を味わうのである。さがみ野駅を過ぎて、間もなく桜並木の通りに入ってくるのであるが、道を間違えたかと思うほど、なにか晴れ晴れとした通りになっていたからである。桜の樹木がないのである。今までとは全く異なった風景になっていた。その変わりようを見ながら、この桜並木に残されている歴史をしみじみと示されたのである。




以前はこんなに花を咲かせた桜の樹。
百合子撮影。



桜の樹がない桜並木。青空通りとなって。
百合子撮影。



こんなに太い樹であったのに。
百合子撮影。



 今は「うおしち」というスーパーマーケットは、1979年からこの地に住むようになった頃は「サクラストアー」であった。そこからさがみ野駅付近まで桜並木が真直ぐに伸びている。丁度、中間付近に公園がある。今は海老名市のコミニティーセンターがあるが、昔は公園だけであった。ドレーパー記念幼稚園の園児を連れては先生たちが散歩に出かけていたものである。散歩には程よい距離で、園庭とは違った場所で遊ぶことができ、喜んでいたのであった。ある年のクリスマスで、教会学校キャロリングを行う。教会を出て、桜並木の公園まで、聖歌を歌いながら歩くのである。しかし、このキャロリングはうまくいかなかった。聖歌は固まって歌ってこそ心に響くのであるが、長い列で歌うのでは前と後ろで統一出来なくなってしまうのである。前の一団と後ろの一団が別々の聖歌を歌っているのである。それでも公園に着いてからは一つの集団となって聖歌を歌う。子供たちもローソクの火を掲げながら、気分も高潮に達して歌っていたことが思い出される。
 この桜並木はあまり店舗がない。あるのは「サクラストアー」付近とさがみ野駅付近にいくつかの店舗があるくらいで、並木通りにはあまりない。今でもその傾向である。さがみ野駅付近の桜並木にいくつかの食事どころがあった。その中の焼きとり屋さんに我が家の子供たちを連れては行ったものである。お花見に行こうということになると、子供たちは桜並木を駆け抜けて行く。花見どころではなく、目指すは焼きとり屋さんなのである。その焼き鳥屋さんの並びにお寿司屋さんがあったが、今は無くなってしまった。そこにも家族でお寿司を食べに行ったものである。また、その並びに居酒屋があり、時には知人と行ったのであるが、未だに昔の看板を掲げている。中に入らないので、店主は昔ながらの人なのかは分からない。もう店に入る機会もなくなっている。
 この桜並木は夜遅く歩いていたことも懐かしい思い出である。横浜で会議があり、終わってから食事をしてくれば、午後10時、11時にもなる。いつもは「かしわ台駅」で乗り降りしているが、たまには「さがみ野駅」で降り、この桜並木の雰囲気を楽しみながら、それこそブラブラと帰ってくるのである。太い桜の樹木の並木を歩いていると、桜の樹木に覆われているのであるが、偉大な存在に覆われているという思いも重なるのである。そして、もちろん人通りは結構あるが、案外と桜の樹が私の存在をかくまってくれているような気にもなるのである。確かにこの道を歩く限り、あまり目立たないことは確かである。桜並木ならぬ青空通りでは、そんな情緒は得られなくなるだろう。もっとも、もはやこの地域の住人ではないので、ブラブラと楽しみながら歩くことも無くなったのであるが。
 これからは秋の落葉の季節がなくなる。落葉の片づけは大変であるが、落葉も季節の喜びなのだ。落葉の片づけがなくなることを喜ぶのか、残念に思うのか。そして青空通りであるから、日々の陽光を喜びつつ歩く人々に変わる。街並は変わり、人も変わる。世の中がどのように変わろうとも、神様のお言葉は変わらない。昔は桜並木まで教会の招きのチャイムが聞こえていたのである。今は事情によりチャイムを鳴らさなくなったのであるが、桜の樹木がなくなって、さらに遠くまで招きのチャイムが響くのではないかと思う。
 ところで重い桜並木がなくなり、青空通りに変わった様を残しておきたいと思った。たまたま8日に小田急線桜ケ丘駅で人と会う機会があり、そのついでに写真に収めておくことにした。だから相鉄線さがみ野駅に行き、歩いてすぐの桜並木を写真に収め、すぐ引き返して大和から桜ケ丘に行けば可能であると、家を早めに出たのである。ところが何を思ったのか京急線上大岡駅で地下鉄に乗り横浜に出たのである。地下鉄横浜駅から相鉄線に乗り換えるのは便利だからである。しかし、地下鉄上大岡駅から横浜駅まではかなりの駅があり、時間を要してしまう。これだったら京急線で快速に乗れば、一気に横浜駅に着き、多少乗り換え時間を要しても、この方が早かったのである。横浜に着いた時、時計を見て、これではさがみ野には寄れない時間になっていた。それで桜並木の近くに住んでいる百合子に頼むことにした。桜並木ならぬ青空通りの写真を何枚か送ってもらうことにしたのである。桜ケ丘での用事を済ませて家に帰ったのは午後7時頃であったが、パソコンには写真が送られていた。百合子は青空通りになる前の桜並木を写真に収めており、添付して送ってくれた。私にとって貴重な写真であり、資料となった。百合子には心から礼を述べたのであった。



きれいな桜並木。パソコンの写真集の中に、大塚平安教会の加原さんが以前送ってくださった写真が見つかる。