鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

自転車に乗って ( 良い知らせを伝える者の足は )

 
 連れ合いのスミさんが自転車に乗りました。スミさんを知っている人はびっくりしたでしょう。かねがね自転車を乗れるようにしておいてちょうだいと言われていたのですが、今までしませんでした。庭の整理片づけを行った時、ようやく自転車の整備をしておきました。腰が痛いと言っているので、乗ることはあるまいと思っていたのですが。ところが、翌日になって皮膚科に行くと言い、自転車で行ってみると言いだしたのです。その皮膚科は六浦駅の近くにあるので、私に車で送ってもらうつもりでいたようです。私は決して嫌な顔をしていたわけではないのですが、私に悪いと思ったのか、自転車で行ってみると言いだしました。自転車に乗るのは8ヶ月ぶりになります。3月の末、引越しの準備をしているとき、教会と幼稚園の間にスチールの戸棚がありますが、そこに載せていたものを取り下ろすため、脚立に乗ったのです。そしたら足を滑らして転落し、下がコンクリートで、階段付近に腰を打ったということでした。その辺りは今までも皆さんにお話をしているので周知の通りです。その後、引越しやら片付けもありましたが、痛い腰は自転車からも遠のいていたのです。
 スミさんは不安そうに自転車に乗り、静かに滑り出して行きました。スミさんの自転車乗りは一流ですから、そんなに心配もしないのですが、やはり、しばらく乗ってないので、多少は心配していました。何といっても、スミさんは皆さんが知っているように、綾瀬市にいるときには自転車を駆使していたるところに出かけていたのです。宮城県古川市にいるときも、自転車であちらこちら走り回っていました。百合子が生まれ、その百合子をおんぶし、羊子を後ろの荷台に乗せ、星子を前の籠に載せて買い物に行くことしばしばでした。今では三人乗りが認められるようになりましたが、昔は禁止されていました。だから前籠に載せている星子には、何かをかぶせて荷物のようにしていたと言います。結局、四人乗りになりますが、おんぶしていれば一人に数えられること、最近になって知りました。幼稚園の交通安全教室で、お母さん達に婦警さんが説明していたのです。綾瀬市に来てからも、いつも自転車に乗って、飛び回っていました。誰かさんが曰く、蝙蝠みたいだねって。夕方になると買い物に出かけ、ついでに知り合いのところによって来るものですから、大分経ってから帰って来るのです。
 出かけていってからしばらくして電話がありました。無事に着いたということでした。そして、それから1時間も経ってからでしょうか、電話がありました。踏切あたりで、転んでしまったから迎えにきてちょうだいということです。どんなふうになっているのだろうと、急いで迎えに行きました。そしたら、もう「こしみつ」商店の先まで自転車を引きずりながら歩いて来ました。転んだと言っても怪我はなく、自転車を止めたところで転んでしまったということです。踏切から六浦駅までの道は一方通行の狭い道で、しかしバイクは対面交通許可なので、車を避け、バイクを避け、人を避けながらの自転車走行は大変のようです。しかもしばらく自転車に乗ってないので、よろけてしまい、止めたところで転んでしまったのでした。
 翌日の今日は歯医者さんに行くことになっていました。皮膚科の付近に歯医者さんがあり、予約してきたということです。こちらに引越して以来、歯医者さんを捜していました。今日はどうするのかと思いました。もはや、自転車で行くとは言いませんでした。車で送り、待つ間は車の中で本を読んでいました。このまま自転車に乗らなくなるのかなあ、と思うと残念というか、寂しくもあります。腰の痛みがなくなれば、また蝙蝠のようになるでしょう。自転車にはシートをかぶせておきました。自転車に乗るようになれば、少し無理すれば、大塚平安教会の教会員で高齢の方、赤ちゃんが生まれた方の家などが自転車で行かれる距離にありますので、きっと訪問するにちがいありません。いつも人様に心を向けているスミさんなのですから。
<聖書の言葉>
良い知らせを伝える者の足は、何と美しいことか。
(ローマの信徒への手紙10章15節)